7年経ちました

55政党というブログからの

ニコ生『検証・ライブドア事件』 

小沢さん問題で、初めて検察に疑問を感じた私...
今日の朝は、田原さんがニコ生でやってた『検証・ライブドア事件』という番組の録画が通常のニコ動でUPされてたんで、それを見てみた。(今一度行ったが... もうその動画はなかった。)



プレミアム会員代払って、再度観ているんだが..
観れるのは1回きりだそうで、さらに録画はできない。
結局得られたものは... 上のリンク。
動画埋め込みだが、結局はこれじゃあ“終了アイコン”だ。
「そんなものがあった」ということのみ。

それでも埋めておこう。


私は.. 少し反省している。
55ではホリエモンはどっちかというと批判していた。
「ろくな事業をしていない人が、ロクでもないことで捕まっている。」 ・・それ以上の興味もなく、それで解決済みとしていた。


何というか...
小沢さんの件のように、ここまで露骨に平然とやってのける世界だとは.. いくらなんでも思っていなかったんで、「グレーをグレーで終わらせない」程度かと思っていたんだ。今まで。

ホリエモンの件も..
これは犯罪だね、検察。

参加者は、
【AERAの大鹿靖明さん】
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【会計評論家 細野祐二さん】
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【ホリエモン裁判の弁護士 弘中惇一郎さん】
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【元検事で今弁護士 郷原信郎さん】
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司会は、田原さん。
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ホリエモン事件の罪の内容は、『子会社の自社株売却利益は親会社はそのまんま売上で計上してはダメで、資本利益という項目に仕訳けるべき』という... 会計上の仕訳の問題。

ライブドアの決算には、単に利益だろうと資本利益だろうと... 当期の利益として計上されている。

これを、社長が知らないはずがない!というのが罪だ。



信じられない....
何だこれ!!


番組を見ていけば分かるのだが...
検察も当初は、「もっと何かあるに違いない!」という感じで進めていたらしい。
ところが、出ない。

相手を極悪人と決め付けた上でならば.. 「捕まえてやりたいけど、これしか出なかった」となる。
しかし、相手を極悪人と事前に決めつけてなければ... これはとんでもない犯罪だ。検察の。

しかも、この会計上の処理は、ライブドアが摘発されるほんの2年ぐらい前から始まった会計処理だそうで.. つまりは数年前までは普通に行われていたもの。
そしてそのような会計処理など.. ホリエモンが「知らないはずがない」わけがない。知っててもおかしくは無いが.. 当然知らなくても普通だ。

ホリエモン自身はあとから登場する。
その際にも、「自社株売却で随分利益が出ます」とは聞かされていたそうだが.. そのような帳簿上の処理をわざわざ指示する理由などどこにもない。



これがメインディッシュの主論。
話はそこに留まらない。

捜査の過程で、宮内氏と野口氏(自殺した)が共謀して会社のカネを4億抜き、2人で香港で投資してることが発覚。こっちは、完全にアウトだ。
ところが.. ここには目をつぶってまで、ホリエモン有罪に向けた捜査が実行されている。

なので番組的には.. この件をネタに、ホリエモンに不利な供述を引き出そうとしたのではないか?としている。


このメンバーにとって、どうやら検察はそういうことをする組織だということは当たり前のように話しが進んでいる。郷原さんは元検事なんで、その辺を聞かれ... ある程度絵を描き、ターゲットを絞って突き進んでいく。そしてそのターゲットを落とすためにはある程度それに近い状態だったようだ。途中で様子が違ってきても、めったにその絵図を軌道修正することはないらしい。「僕はマシなほうだった。」と言ってるが。

また、この参加メンバーの中の細野さん。会計評論家ということになっているが、そもそもは会計事務所の人で、シロアリで何かと煙たがられたCat'sの会計監査の責任者だったらしい。
Cat’sの粉飾決算では、無理やり監査法人側に指示されたことにされたそうだよ。
確かに、当時のキャッツは営業手法がかなり問題だったように記憶している。
少なくない一般市民が「キャッツに騙されないように..」って感じでディフェンスを張っていた。


私のような.. 何の情報もない一般市民にとって、このようなインチキ捜査は.. 裏に何かとても政治的な陰謀を感じているんだが、その前に、まずは○○に違いない!という先入観や決めつけ... これらが多くを動かしているんだと分かった。

決めつけてるサイドからすりゃあ.. そりゃあ何を言っても言い逃れ・言い訳にしか聞こえないだろう。
ところが、実際はこれじゃあ... いくらなんでも酷過ぎる。


郵便不正事件絡みでは、そのような気配をどうやら民主党議員と絡めたかったらしいことが伺える。
FD改ざんなんちゃらどころではない。
検察は、石井一議員と倉沢なる人物とが接していないことを事前に分かっていながら... 調べていないフリをしたんだ。



これから先も... 大手メディアは引き続きそうやって生きていくんだろうか。
昨日の上杉さんの件で明らかだ。
メディアは.. 検察権力こそ監視する対象としなければならない。

恐らく、通常そのような権力を振りかざすのは政治家であろう。
しかし、現代は存在意義を失った多くの喚き屋が世論を利用している。
そしてそのような政治家より、一層深刻な重罪を重ねているのが今の検察だ。

55政党的には、そこを官僚と拡大解釈してもいいぐらいだが.. 彼らは権力というより国家そのものなんで、やや趣が違う。

メディアが行政の操り人形を脱出する...
そのことこそが、真の民主主義のスタートラインに違いない。

そして人の言葉の上げ足をとって、「傷ついた」とか「差別だ!」とか批判してきた側の人々... そんな人らは、ホントに人を決めつけで断罪していないのだろうか?
この件を知って、一体どう思っているんだろう。

新聞は、大衆には響かない。
その記事を取り上げるテレビが問題だ。
テレビは完全に、何かしらのバリアで守られている。
その包囲網の突破から始めていこうよ。

最後に、Youtubeで小沢さん関連の事実を訴える方の動画を発見したので貼っておく。
このアカウントでは4本の動画をUPしているが、いずれもそれ関連なようだ。




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夏目漱石『私の個人主義』 

いやぁ驚いている。
私は先日ここで書いた通り... 『明暗』を10ページほどで諦めた以外、夏目漱石を読んでいない。
学校で習ったかもしれないが、1作品を理解するまで読むようなことはなかったハズだ。


この本は、夏目漱石の講演を収録したようなものになっている。
講演は5つあり、それぞれのテーマは『道楽と職業』『現代日本の開化』『中身と形式』『文芸と道徳』『私の個人主義』。『道楽と職業』については先日既に取り上げた。

何よりまず伝えたいのは、学者等専門家の用いる手法への疑問、形式的なものが先にある発想の否定、絶えず変化するものという捉え方、個人主義の捉え方にある。そして全体をというか根本的な姿勢として、物事を考える上で日頃生活している自分から出発し、その現実と合致しないものを安易に認めない姿勢・・ これら要素の多くは、55政党が日頃語っている姿勢と近く、大変に納得のいく部分だった。


この中でも特に感心したのは、最後の『私の個人主義』で・・ これは学習院大学で学生に向けて講演されたものだ。
長々と丁寧な前置き(それは必要だからなんだが)のあとに、学習院の学生らに対し、「皆さんは卒業すればきっと権力や金力といったものを人より余分に持っている方々が多いだろう... 自分のためにも、それらの使い方・接し方に気をつけなければならない」的なことを言っている。そのようなパワーに対して無頓着と言うか冷静に向き合う姿勢が横たわっている。その上でいくつか抜粋する。
■■□

自分が他から自由を享有している限り、他にも同程度の自由を与えて、同等に取り扱わなければならん事と信ずるより外に仕方がないのです。

近頃自我とか自覚とか唱えていくら自分の勝手な真似をしても構わないという符徴に使うようですが、その中にははなはだ怪しいのが沢山あります。彼らは自分の自我をあくまで尊重するようなことを言いながら、他人の自我に至っては毫(少し)も認めていないのです。

我々は他が自己の幸福のために、己れの個性を勝手に発展するのを、相当の理由なくして妨害してはならないのであります。

元来をいうなら、義務の附着しておらない権力というものが世の中にあろうはずがないのです。

今までの論旨をかい摘んで見ると、第一に自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。第二に自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに附随している義務というものを心得なければならないという事。第三に自己の金力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重んじなければならないという事。

□■■


要はノーブレスオブリージュなんだが・・ そんな道徳的なものを重んじろ!というのではなく、自己というものが見えてくるまでの間への助言であり、そうしないと自分自身の発展の妨げにすらなるというような話し。

漱石さん自身も、長いのらりくらりとした道のりを経てようやく『自己本位』というところに辿りつき、それ以来自分が強くなったと言っている。
自己本位が自分の道であり、それはつまり他人にとっての自己本位も尊重しなければならないということになる。


それ以外にも、このような薄い本にいくらでも抜粋したい部分がある。そこから自分好みのものをいくつか拾っておく。
■■□ 

私のここで述べる個人主義というものは、決して俗人の考えているように国家に危機を及ぼすものでもなんでもないので、他の存在を尊敬すると同時に自分の存在を尊敬するというのが私の解釈なのですから、立派な主義だろうと私は考えているのです。

国家は大切かも知れないが、そう朝から晩まで国家国家といってあたかも国家に取り付かれたような真似は到底我々に出来る話でない。常住坐臥国家の事以外を考えてならないという人はあるかも知れないが、そう間断なく一つ事を考えている人は事実あり得ない。豆腐屋が豆腐を売ってあるくのは、決して国家のために売ってあるくのではない。根本的の主意は自分の衣食の料を得るためである。
(国家のため!国家のため!と純粋に主張したところで・・ 私たちの現実はそれほど国家のためになど生きていない。もっと、主張と現実を符合させなければならない。)

いかに至徳の人でもどこかしらに悪い所があるように、人も解釈し自分でも認めつつあるのは疑いもない真実だろうと思うのです。現に私がこうやって演壇に立つのは全然諸君のために立つのである、ただ諸君のために立つのである、と救世軍のようなことを言ったって諸君は承知しないでしょう。誰のために立っていると聞かれたら、社のために立っている、朝日新聞の広告のために立っている、あるいは夏目漱石を天下に紹介するために立っていると答えられるでしょう。それで宜しい。決して純粋な生一本の動機からここに立って大きな声を出しているのではない。(そうは言っても、せっかく時間を取っているのだからそれに見合うだけのものをなるべく提供する努力はする。)

□■■


国家がいかようなものであるか.. それはいくらでも語れるし幾通りの答えもある。それがどれも正解のようでいてどこにも正解は無い。そもそも変化し続けるものだ。
しかし、自分が自分でしかないのは事実だ。そして自分を尊重するとすれば他人の自分もまた尊重する。つまり、他人を動かすことは出来るけれども結局は自分で自分分の責任を負う。ならば社会を考えていく上でも、自分の現実に即した理解を、もっと大事にしなければならないだろう。





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組織は人なり 

55政党は、『演繹的』『帰納的』というモノサシを重視している。
そして野中郁次郎さんという一橋の名誉教授の方が、“演繹的-帰納的”を重視した意見を載せているのを発見し、とりあえず買った本がある。

『組織は人なり』・・ナカニシヤ出版
東京電力技術開発研究所ヒューマンファクターグループ編 野中郁次郎監修
組織は人

野中さん自身はほとんど書いてはいないが・・ そういったモノサシを重視する方々がどのような視点でモノを見ているのかがまず興味を持って買った本で、そして相変わらず読み途中だ。

中身は結局企業の組織論的なものであり、しかもそのような面で参考になるような著書を紹介しながら進めていく形態になっていて、どなたかの“明快な主張”といった類のものではない。
紹介されている書籍は、ドラッガーとかカーネギーとかハーバードビジネススクール系が中心だが・・ チクセントミハイやフロムといった心理学系も多い。


そしてまだ途中だが基本的な部分としてつくづく感じたのは、私の主張内容はこの本とほとんど同じだということ。
正しい分業、動機づ、利害以外の部分の重要性(結局のところ.. という深さで)このような話しは55政党でもよく出してきた。
そしてこの本にもその辺が中心となって展開されている。

さらに、人間を尊重すること、個々の多様性を認めること、双方向のコミュニケーションを展開することなども出ている。これらは今はやりのビジネスモデルなんちゃらな発想の前時代のものではない。ここでもそのようなモデルの役割が限定的であることにハッキリと触れている。

コミュニケーション部分で大変象徴的な部分があるので紹介すると..
『また、レシャーは「川というものはない、それは絶え間ない流れである」』
『世界を構成しているのは、変化し続ける出来事の相互関係であり、人間とは自らをめぐる関係性に影響を受けると同時に影響を与えつつ、未来の方向へ向かって自分自身をも変えていくような存在とみなす。』

この辺がハッキリと、55政党と同じ言語なんだと分かる。


一部日本型終身雇用を肯定しすぎているように受け取られかねない部分があるが、これは主論と違う話しであり、是非を問わない。


雇用を労働力の提供と捉えるのは間違いの元であり、
能力主義で区切るのも間違いの元であり、
現場・末端の判断を尊重・採用しないのも間違いの元であり、
そもそも人は人との差を認め、その差をこすり合わせることによって多くを吸収・成長していくものである。
・・・まあかなりザックリといくとこのような話し。


話しは少し本とそれるが・・
リスクマネジメントや業務の標準化は最低ラインの押し上げ効果しかなく、優先すべき手法かどうかとは関係がない
私は10数年前に飲食チェーンでアルバイトをしていたことがある。その時、ユーシューらしい店長に「それが一番ミスの出ない方法だ。」と言われたことがある。但し、それはそのお客さんは望んでいない手続きであり、そのことでミスがあってもそれで声高に訴えるハズがないもの(全国に影響など出ようがないことなどすぐにわかること)であり、つまりお客さん1人をやや不愉快にする効果しかない。サービスとは相手の意向を察して出来る範囲でこちらからアクションを起こすことであり、このサービス業の企業人にはサービスが分からないんだなとあきらめたものだ。

そして人々は徐々にビジネスライクな関係になってきていると捉えている人は多いが、現実はそうではない。ホントに待遇や利害だけで動いている人は、大きな野望を持つような(もしくはほかに大切な目的を持っているような)一部に過ぎない。もしくは仕事というもの自体が重要ではないのか..。本当は、各自も口ではそのようなことを言っても.. 実際そうは動いていない。それは自己への認識不足だ。
つまり、価値観が多様化してきているだけなんだ。

この本は多様化を受け入れたうえで、目指していけるカタチがあることについて語っているとも言える。

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