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55政党というブログからの

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無料公演なのに「著作権料を」 JASRACにオケ当惑 ---朝日

一応厳密に行くと.. 養護学校→神奈川フィル は¥0でも、包括的な公的枠組み→神奈川フィル だったり、十分な宣伝活動になる場合であれば、多少は理解する。
しかし、JASRACの言い分「無料公演でも給料が払われている」だと... いくらなんでも、頭がイカれれているとしか思えない。

JASRACは、著作権者の代理人だ。なので、その音楽を作った方々ほか権利を有する方々が、そのような無闇な要求をする方々だと理解するよりない。
これもJASRAC主旨にある『音楽文化の普及発展に資すること』なんだろう。


近頃の55では、真の三権分立を主張している。
このような実質公的役割を担う法人でさえこの有様なのだから..
JASRACは請求する → 神奈川フィルは法的なところに持ち込む
という流れがスムーズになっていくことが望ましい。

だが.. 現状の司法では限界がある。(神奈川フィルでなく、一般市民の話し。)
弁護士に相談するだけでもカネがかかるし、弁護士というのは得意不得意分野がすごくある。不得意分野など.. ハッキリ言って私たちと変わらない。法人形態であろうと、彼らはプロフェッショナルな個人商店だ。

そこで.. 現状の検察庁を司法の下部組織に移し、司法側の役場として手を伸ばして行ったらどうだろう。
民事も含め、法解釈や判例を相談しに行く役場。(や、設備も人手も全部移管=増やさずに。別に検察官である必要もない。)
検察は、行政の行きすぎをチェックしていて.. 十分に独立性が保たれているという。しかし、十分に独立性を保つのならば、行政府に属するのはおかしい。存立できる形態としては、『行政府の自主的な規制部門』でなければならない。

そして弁護士業務が縮むように思えるが.. 現状では、裁判に結ばる道を引き受けているわけで、それは今までと変わらないし、そして弁護士は利用する側の味方になってなんとか利益を持ってくる(不利益を排除する)お手伝いをしてくれる。つまり、そのようなことを目指して依頼してくる多くの人は、そんな役場が出来ても変わらない。
そもそも、この形態は.. 「それはおかしい」と思う側が行く窓口なんで、検察官サイドへの相談でOKだ。


役割的には.. 確かに司法といえるのか微妙ではある。
なのでもっと素敵な案が必要かもしれないが.. とにかく、今の日本では司法の拡大は必須だ。
そして私たち一般鴨大衆にも必要な社会セクションだろう。

また、現状の、警察の延長のような検察って.. 必要か?
そのあと裁判なんだよ、だって。そこで確定じゃないんだ。
現状の警察では法的解釈が脆弱だったりすのかもしれないが.. それは警察組織が行えなきゃならない。警察庁があるんだし。


そして、現在の官僚が担っているような.. 立法的な役割の行政部分を立法に移せれば、真の三権分立に近づく。
上の司法では“相談窓口”みたいに言ってるが、行政の行きすぎを自ら指摘することだって不可能ではない。
司法が拡大しても、その元となる法律は立法府が作っている。でも.. 最終的に手を下す(処理をする)手は、行政だ。行政は「実質不可能だ!」ということがあったら、ジャンジャン立法府に上げていけばいい。




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食べられません! 

今日はコンビニでトルティーヤ的なものを買って食べた。
手で持つ部分が厚紙で囲ってあり、食べやすいんだが・・ その包まれているゾーン(あと二口三口くらい)にきたところで・・ 何か紙のようなものを噛んだ。「あら?折り曲げたハズなんだが・・」と思って見たら、防腐剤の袋だった。
「食べられません!」と書いてある。

そこでふと思ったのが・・
これを誤って食べてしまう人がもしいるとして、そんな人または場面で、「食べられません!」と書いてあれば回避できたケースなんてあるか?ということ。

あり得ない。
食べられません!という字を読んでなおかつそれを口にする人は、どうにかなってしまいたい人か、その言葉を理解できない人だ。それ以外の場合は、誤って口にするケースしかなく・・ その場合は“食べられません”と書いてあろうとなかろうと関係がない。
そして、言葉の意味が理解できない人にはそれを理解できる人がそばに付いていることが多いが・・ 大凡その人は、それが食べられると書いてあるのか食べられないと書いてあるのかを見て判断するわけがない。


....至って当たり前の話しをしているんだが、ここで言いたいのは、社会における考察の多くとは、大変論理的だったり演繹的だったり素晴らしいアイデアであるよりもまず、それをやった場合とやらない場合の差で判断しなければならないということ。

やってもやらなくても同じことを法制化しているようじゃあ、どうしようもない。
そのような法律とは、①それを法制化すること自体が既にある目的を持っている場合 ②法を利用して金で穴埋めしてもらいたい場合 ③それによって責任を回避したい場合 にしか役に立たず・・ 即ち私たち善良な一般大衆にとって何の理もないものだ。


ユーシューな方々はよく、このような間違いを犯している。たいそうハイレベルなことを言っていても、それをやった場合とやらない場合の差がないことや現実的にはやれないことを述べていることなどザラだ。

また、法を活用することが得意な方々、今既に多くのモノを持っていて法律に守られたいことばかりな人々も、このようなタイプの法律を歓迎する。
実際のところ法律とは、ろくに何も所有していない私たち一般大衆にとっても、基本的には既得権益や身の安全(大きな意味で既得権益)を守ってもらうために存在している。結局私たちはそれを活用することをしないけども..。
失うものなど何もなく(と思い込んでいる)未来が長すぎて今に絶望している若者にとって、そのような類の法律に何一つ理などない。



また、当たり前すぎるものの多くに、法律は存在しない。
ところが、“当たり前”というのはどれだけ閉じた空間に長く暮らしているか?と直結していて、本質的には普遍でもなんでもない。この辺は慣習法と紙一重ではあるが... ここで主張したいのは、これからもっと“当たり前”が減っていくのは間違いなく、そして屁理屈と経済力に任せて制度の穴を突くような姿勢も増えていく。
その時に『やった場合とやらない場合の差』という発想の仕方を身につけておかないと、より一層くだらない社会になってしまうだろうということだ。




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お!郷原さんが何やら就任している 

携帯でチラっとこのニュースを見た。帰ってきて検索してみると、これだ。
総務省顧問に元特捜検事の郷原信郎氏が就任へ ---Asahi.com

郷原さんは最近の「コンプライアンス重視」はおかしい!と主張し、とても興味を持ったので55政党でも取り上げている。
思考停止社会 ---2009.6.6

55政党では随分前から、コンプライアンス重視!という姿勢を批判していた。
郷原さん論はこの部分において信頼できる。

だがしかし.... この総務省の顧問というのは、いったい何をするんだろうか?
どうもその辺がしっくりこない。
これはもしかして民主自身を守るためのものではないのか?と勘ぐりたくなる。
引き続き見守っていこう。


そして郷原さんを検索していたら、宮台さんらのビデオニュースドットコムが上がってきていたんだが・・ そっちが大変に興味を惹く話しになっている。
どうやら賄賂の福島県知事さんの話しで、かなりきな臭い。
「物言う知事」は何故抹殺されたのか

これは大変に興味深い。
これを読む限り、佐藤元知事の有罪はかなりおかしい。
ビデオニュース側は、これは佐藤さんが原発反対を主張することと絡んでいると見ているが、郷原さんはそんなレベルの話しではなく、検察側の責任者の首やメンツ程度の問題だとしている。
私も以前勤めていた会社は国税が入った。それによる脱税は、正直... 国税のメンツとしてこじつけのような追徴課税を食らっている。あの時以来、国家機関への信頼は一気に失せたものだ。

だから郷原さんの意見も分からなくないが・・ 今回は知事が相手だ。そこにメンツ程度で挑むだろうか?(まあ、仮に無罪だとして・・)


この件は追っていこう。まあビデオニュースドットコムを追ってくだけでも進捗は追えそうだが...。


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性犯罪についての裁判員制度 

今日は携帯だったか... ニュースで、性犯罪の裁判員制度適用についての話しが気になった。
帰ってみて調べてみると、いくつも話題は上がってくる。

これは適用除外すべきだろう。

最高裁の制度紹介のページでは、対象となる事件案件は
* 人を殺した場合(殺人)
* 強盗が,人にけがをさせ,あるいは,死亡させてしまった場合(強盗致死傷)
* 人にけがをさせ,死亡させてしまった場合(傷害致死)
* 泥酔した状態で,自動車を運転して人をひき,死亡させてしまった場合(危険運転致死)
* 人の住む家に放火した場合(現住建造物等放火)
* 身の代金を取る目的で,人を誘拐した場合(身の代金目的誘拐)
* 子供に食事を与えず,放置したため死亡してしまった場合(保護責任者遺棄致死)
とある。

今回話題になっている青森の事件は、強盗致死傷が絡んでいると考えなければ対象とはならないんだろうから、そうなんだろう。
裁判員裁判:性犯罪、初の審理 被害者保護で情報“制限”--青森地裁であすから
***毎日jp

記事内でも、最も配慮されているのは、裁判員を選定する際の被害者氏名や当人と関係のある人や地域についてだ。

だがしかし、“性犯罪”として取り上げる上で最も重要なのは、裁判員制度で裁くのでは?と思うだけで控訴を取りやめたり、被害を出さなかったりしてしまうのではないか?という逆抑止力のような部分なんだろう。
(三重)泣き寝入り多い性犯罪 ---読売オンライン

この記事では、犯人が自供しているのが30件、被害届は20件・・ 10件が“泣き寝入り”扱いとなっている。まあそれは度合いや当人の感覚も幾分あるんだろうが・・ それでも結構な割合にはなりそうだし、このニュースは裁判員制度云々と絡んでいない話しだから、それを強く意識することでより一層影響が出ることが十分に考えられる。

“泣かない”んならいいが・・ “泣き寝入り”はダメだよ。
そのような社会ではあってはならない。
「社会の被害者だ!」などと強面で脅して回ってるような人らが救われて、そのような事案が裁かれないような社会はどんな理由があろうと間違っている。


一方、読売新聞九州発によると、“性犯罪のうち裁判員制度対象の重大事件は強姦致死傷、強盗強姦、強制わいせつ致死傷、集団強姦致死傷事件。2008年の全国の対象事件2324件のうち約2割を占める。”ということらしい。
2割もあるんじゃあ.. たしかに適用案件はかなり減ってしまうが・・ それでも迷うとこじゃないだろう。
第一、ついこないだまでは、本業の方々だけですべて裁いていたんだ。何も問題ない。

その代わりに、●法解釈が微妙な案件 ●国や公的機関・立場を相手取る案件 を入れてもらいたいものだ。そのような案件は大変に高度な内容となってしまう難しい案件だろうが・・ 殺人がさばけて、法解釈が裁けない真っ当な理由などない。それに、裁判官がついている。


逆抑止力を引き起こさせないためには、シンプルなルールにしておかないとならない。


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日本人のための憲法原論 

先日ブックオフで買ったこちらの本。2006年3月の本だ。当時は話題になったりしただろうか...。

日本人のための

この小室直樹さんという方.. ウィキペディアによるとかなりアツい方のようだ。
相変わらずまだまだ読み途中での感想になる。(私の場合、書いてしまわないと忘れてしまうんで...。)


まず、この本は500ページ近くあって、憲法原論と言っても、欧米の歴史や宗教などまだまだ私には困難な道のりが続くんだが・・・
とにかく今のところ、猛烈にためになっている。
出だし(前書き)から『現在日本が一種の機能不全に陥って、何もかもうまく行かなくなっているのは、つまり憲法がまともに作動していないからなのです。』『こんなことを言うと、みなさんはびっくりするかもしれませんが、今の日本はすでに民主主義国家でなくなっています。いや、それどころか近代国家ですらないと言っていいほどです。』と始まる。

そして憲法及び法律についてのザックリとした捉え方にヤラれる。

●憲法は成文法ではなく、本質的には慣習法である。
●刑法は裁判官を縛るためのもの
●検察官ばかりでなく、行政府全体に対する命令が書かれているのが刑事訴訟法
●刑事事件とは、検察すなわち行政権力を裁く場
●刑事訴訟法は刑法よりも大切な法律
●憲法に違反することが出来るのは国家だけ
●民主主義と憲法とは、本質的に無関係

どうだろう...
これに対し「成文法は成文法だ!」という発想しかしない人には何を言っても無駄だろうが、基本的にうなずくことばかりだった。

ドイツのワイマール憲法は、ナチスによってそれを無効化される法律を被せられたが・・ だからと言って「憲法違反である」とはならないのが憲法であり、アメリカ憲法はステキなことばかり言っているが、実質がまったく伴っていない(というか行使しきれない)ことなどからも、実質成文法とはいえないと導き出している。多くが進んで従うような、慣習法的内容でないと、憲法は効果を発揮しないという話しだ。


そして、遠山の金さんや大岡越前的「お上」感覚が、近代制度の足かせとなっている話しや、死刑執行が決まっているのにGOを出さない法務大臣こそ問題であることなども出ている。


国家権力というものこそ強大な権力なのであり、多くの法律や憲法とは、それら権力を統制するためにあるものだ。
そしてそのような部分での私たちの感覚のズレが明快に分かる例えが出ている。
『例えば、理屈を捏ね回して親に反抗する子供に対して、親が「えーい、おまえの言うことなど聞きたくも無い。黙っていろ」と叱ったとする。すると生意気な子供が「お父さんは言論の自由を侵している。憲法違反だ、人権侵害だ」なんて怒ったりするでしょう。しかしこれは子供の言い分が間違っている。子供の意見なんて聞かなくっても、言論の自由とは関係のないことです。』

言論の自由や人権侵害とは、本来国民が国家権力から守るために存在するものだという話しだ。
憲法第21条:表現の自由は、これを保障する
・・・これはいったい誰から保障してくれるのか?それは国家だという話し。

『何しろ近代国家には軍隊や警察という暴力装置がある。また人民の手から財産を丸ごと奪うこともできる。さらに国家の命令ひとつで、人民は徴兵され、命を線上に投げ出さなければならない。』
・・・今までそんな風に考えたことも無かったが、言われてみればその通りなんだろう。

武士道への解釈と、伝統主義と合理的判断は対極にあるという意見には賛成できなかった。
それは学問的にはそうなんだろうが・・ 現在の使い道として(認知のされ方として)ずれがある。


以降、中世ヨーロッパの歴史やキリスト教について続いている。歴史嫌いの私にも大変面白いが、後日追ってにしよう。



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