7年経ちました

55政党というブログからの

失敗することで成長するというより 

日経BPで上がっている記事が目に入った。
第4回 失敗することで、人前力は成長する ---山本 秀行さん


55政党はこっち方面を今までさんざんやってきた。
そして私は、中学の時に"shy"という単語を教わるときに「このクラスでは○○くんのような・・」と1人名指しで言われるほどのシャイBoyだった。
なので記事内にも十分に同感させられる部分もあった。

成長は、葛藤の後にセットで付いてくるもので、厳密には失敗が成長を連れてくるわけではない。
そしてこのようにビジネスハウツーにすると、それは成長というより、知識を増やすことにしかならず、それはビジネスとして重要な『万全な準備をする』という習慣的指針にしかならない。
そして結び近くに、失敗を恐れる方面があるが、今どきの若手層というのは... 失敗を恐れてるというよりも「大事な場面で、初心者である私を使ってしまっていいのか?」ということを危惧しているだけなパターンも結構あるものだ。
今どきの若手層というのは、「失敗はいいことだ。」と言えば、むしろ平気で失敗したりする。
重要なのは、葛藤にあるんだ。あくまでも成功させなきゃならない。



まあ.. この方の意見の批判をしたいんじゃなく、55政党はあくまでも政治を考えている。

現代のように.. 
葛藤を遠ざける傾向、それが人間の成長を阻害している。
但し、葛藤は同時に... 人を捻じ曲げもする。

重要なのは、結局その葛藤と向き合い改善しようとする意志であり、その源泉こそが、ここで主張しているまともな人間性にある。

小さいころは、当人なりに大きくても、傍から見れば小さい... そんな細々とした葛藤が存在する。
それは当人の身体的成長に伴って大きくなっていき、場合によっては自ら命を絶つほどの大きさに達するだろう。


葛藤に向き合おうとする源泉.. それは小さいころから当人なりに積み重ねていった成功体験がある。
小さいころから葛藤を遠ざけて育てられたり、もしくは自分で克服したと思えない克服を重ねていたりすると、将来自分で処理するより選択肢がなさそうな場面でいきなりデビュー戦となってしまう。

それでも向き合おうとする強い意思や目的が存在する場合もあろうが、向き合おうと思える選択肢が存在しているかどうか?のほうが現実には重要だ。

※自覚できるよりも前の段階の葛藤が、人間として当たり前の社会性を身につけさせている。『自と他を別ける。』『思い通りにはならない。』『相手によって人は違う。』など。


初恋というものは、多くの人に強烈な葛藤をもたらすだろう.. そしていい歳になって初めてそのような心情を体験する人もいる。
そして驚くことに... 次の一戦は、「あの時のときめきが来ない!」に違いない。それを“想いの深さ”と勘違いする人もいるが、そのように心的葛藤のデビュー戦というのは、猛烈なものなんだ。

身体的にまだ成長段階にある年代で葛藤を遠ざけることは、決して望ましい方針ではない。
アブノーマル量産計画のようなものだ。



最後に余談だが、自殺を減らすには... 縦のつながり、そして横のつながり。
社会に存在する自分の居場所というか在り場所があることも重要だ。
自分の命が自分一人のものではないことを実感できる環境。
自分にとって、何一つ当たり障りのない快適な親... それは“繋がってない”という。

生きていても下らない世界。
いや、自分ひとりの命ではないんだ。自分が生きることで、生かされる人もいる。
葛藤を遠ざけ、コミュニケーションが希薄になっていく現代ニッポンでは、もうしばらく難題であり続けるだろう。


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社説:小6自殺 少女の死が問うもの ---毎日

ここに『文部科学省はいじめの定義を加害行為より被害者が苦痛を感じていることを重視するものに変えた』とあるが... これでは、この役所の主導権は無理だ。
とてもじゃないが、ホンキで取り組んでいるとは思えない。

そんなことは、当たり前のこと。それをわざわざこのように方針変更などと.. 子供より自分らの身がかわいいんだとよくわかる。

それともう1点...
こんな人らが、果たしていじめを見つけてどうしようというのだろう?

記事内にも『07年には「いじめ自殺」が相次ぐ一方で実態がなかなか表に出ないため』とあるが、子供が感じるいじめの苦痛とはまず、周囲からそれを認定されることだ。だからわざわざ発見したりあぶりだすような作業は、事態を一層深刻にすることは想像に難くない。

子供から青年への成長とは、『差を作らない』ことではない。『差を認める(許す)』ことだ。
近頃のいじめの話題は、差別方面が目立つ。それはつまりは、私たち大人がそれを差別されやすい状況だと認識しているじゃないか。フィリピン人だ朝鮮人だと...。
それを子供に否定させようというのか?


教育にとって大事なことは、本業を一層強化すること。
悪の暴力教師がいるからこそ、生徒は一体感が高まる。
そして、好き嫌い別にして一緒に取り組まざるを得ない場面を増やしていくことだ。

55ではひとり妄想のように何度も繰り返している... 人格形成に係る人間関係というのは、それを第一義的に取り扱っていけないんだ。

なので、学校が取り組むべきことはまず、部活の強化。そして勉強の強制だ。
そして今どきの子供(親の教育)は、理由がないと納得しないので当然、形式的な部活じゃあダメだ。
将来の選択肢、もしくは自分の幅となるよう.. スポーツに限らず文化的なものでもオタク的なものでも、真剣に取り組んでい行ける深さを求めて運営していくことだ。

何か行事でもいい。ホンキの。
「学年で1番を目指そう!」という行事があったとする。
今どきの子供(親の教育)は、「1番を取るためには、あの子らを外した方がいい。」といった発想をする。
裏の目的は、みんなで目指すこと自体にある。だがしかし.. それを表に出してはいけない。
ということは、1番を目指すこと自体を何か重要ものにしなければならない上に、メンバーを外すという選択肢をなくさなければならない。
その件において、不得手な子も一緒にゴールに運んでいかなければならない。


常に『目的→手段』 ・・彼らには意思がない。
それは私たち大人がそう作り上げてしまったんだ。

理にかなわないことの価値が猛烈に軽視されている。
そして何より、本業の軽視。
塾中心の勉強を改めるもしくは、入試制度を変えていかなければならない。

いじめいじめと.. そのことばかりにとらわれていては、一層深刻になるばかり。
答えは別のところにあるんだ。


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葛藤→成長 の補足 

先日の『成長、葛藤、機会、リスク、時間』ほか・・ こっち方面はかなり以前から(失敗が足りないなど)取り上げ続けている。
その様な話しの中で特に“葛藤→成長”について補足したいことがある。

このような主張は、そのような機会を政治的に排除しようとする大人に向けてメッセージしている。
各当人自身が「葛藤→成長なんだから頑張る!」などと心に言い聞かせて頑張るようでは・・ むしろ成長無力化作戦になってしまう。
なので、親が子にそのように助言したりするのは本来望ましくない。

親がすべきなのは、子がそんな状況にあることに気づくことであり.... せいぜい自ら子供に余計な悩み事を持ちこまないようにするとか、創傷部に塩を刷り込むような行為をしないようにするといった.... むしろマイナスなことをしないように心がける消極的後方支援ぐらいだろう。

但し、昨日のように「機会とリスクは常に天秤にかけられるべき」なので、葛藤に耐えられないもしくは危険な方向に逸れてしまうようであれば、それを救ってあげることが必要な場面や相手もあるだろう。



このような話しは、“親が子に道を強要し、そして子はそれを自分の意思で突破することが素晴らしい”といった系の話しにも結びつく。
親は、道を強要するわけなので・・ 当然それが良い道だと確信している。しかし子は子で・・ その通りだと思えばそうすればいいし、そうであっても自分の意思を貫きたいのならばそむくのもいい。
この、そむいたタイミングであたかも縁が切れるかのような関係性こそが最も淋しい話しだし、そのような関係の結び方しか出来ない大人は増えている。

子供の機会を平気で奪う発想は、左寄りに多い。そしてそんなステキで勘違いな発想は、今どきのお母さん層にも多い。
しかも自分らが正義の側だと思っている。

この話しが政治に関係している部分とは・・・ “新たな制度を設ける”話しではない。“余計な制度を却下する”姿勢だ。
そしてとっても大切なことだ。



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成長、葛藤、機会、リスク、時間 

今日の昼は、事務所でちょっと前の週の週刊ダイヤモンドを見つけた。
8/1号『農業入門』特集というもの。

そのメインのおかずには触れないで、ちっちゃなコーナーの話しなんだが・・ 
『勝負のバランスシート』(二宮清純)という記事がとても興味を引いた。
それはサッカー日本代表のボンバーヘッド中澤佑二の話し。
彼がそんなヘアスタイルにしたのは「目立たないことには何も始まらない」という理由だったそうだ。高校時代は後輩に「ヘラヘラしてるんだったら辞めちまえ!」というほどの熱血少年だったようで・・ そこからの変化(成長)が注目されている。

恐らくそれはブラジル留学が重要だったハズで・・ ブラジルでは、サッカーで名を上げようとしている若者など腐るほどいる。さらに皆結構上手いわけで、そんな中から注目されるには目立つことは大変に重要だ。
サッカー好きなら知っていると思うが・・ 中澤はけっして上手くは無かった。注目されるようになった(代表に招集されるようになった)当初は、“ヘッドは強いがディフェンスが危なっかしい(ポカる)”という印象で大差ないだろう。
そっから先の中澤の成長は目覚しい。ポカる中澤が、今ではむしろ信頼感を得ているわけだ。

このような・・ 注目されてから手に取るように成長が分かった選手は、例えばベルディの北沢がいた。北沢もホント、上手くなかった。北沢のウリはとにかく中盤で動き回ることだったが・・・ “ボールを奪ったはいいが、その後がいただけない”な選手だった。

機会を掴むこと、そしてそっから逆に影響を受けて自身に反映させることの重要性が改めて思い知らされる事例だ。
競馬でも、とにかく結果を残していてもスーパーホースとは認められない馬がいる。まず期待をされ、そしてその期待に応えることが重要なんだ。そして、結果になかなか応えられず期待されなくなってしまうものと、期待され続けるものがいる。このコミュニケーションの相互作用性は重要で、期待され続けることで成長を促進する。期待するほう-されるほう どちらか一方からの送信なのではなく、これは双方向通信になっている。コミュニケーションとは常に、送信側と受信側が存在していなければ成り立たない・・ 電気のようなものなんだ。

そのことを気づかないで、自身の能力の賜物だと考える人がいる。
もしかしたら実際にすごい能力の持ち主なのか知れないが・・ この現象の存在を認めなければ、何も始まらないだろう。



55政党では、成長・葛藤・リスク・機会・時間といった事項を重視し続けている。
そしてそれと社会政治との関連を注視している。
リスクと機会は常に天秤にかけられるベキであり、現在のような・・ 安全・安心が当然のように認められる状態はまともなではない。

また、時間の概念が欠落している傾向が強い。
成長とは葛藤があったから得られるもので、予定通りに獲得する成長とは本来の成長ではない。
計画を立て、それを確実に実行していくことで得られるものは、短期では成し遂げることが出来なかったであろう大きな事柄を成し遂げた結果であり、また途中途中の段階的成功によって次が見えてくるという成功体験による習性の獲得にあるんであり、つまりは習慣づけ(しつけ)の話しで、これは成長ではない。
・・・この話しで重要なのは、順番(時間)にある。


次に、これらの話しに繋がってくるのが能力主義だ。
ポテンシャル的なものや、当人の努力があったからこそ・・ なのは否定しない。しかし、そのどちらもが環境や周囲からの影響を受けて成り立っているし、その価値観を認めているのもそもそもその環境にある。
ゲートボールがとても上手かったとして・・ ゲートボール自体が認知されていなければ、それは小技芸にしかなれない。
能力があるから課長になる。 ・・・そんな流れがあるとして、しかし、課長になったからこそそれに見合うよう頑張るという側面もある。
いずれにしろ、そのポジションに見合った役割は決まっており、どうであろうとそれを担っていくしかないわけだ。
それは資格制度にも共通している。“その資格を得たからそれをする資格がある”のではなく、その役割に見合うよう精進していかなければならないとこは変わらない。
資格制のメリットとは、その資格が質を担保するんじゃなく、機会がなるべく平等に与えてられるようにしていることにある。
それはつまり、センスやコミュニケーション力、判断力、外見(容姿)などに劣っていると自覚している人にとって重要・・ という側面も抱えている。

と、このように、能力主義とは、質を先に担保ものではなく、機会の平等や社会効率をいくらか上げるための取り組みでしかない。
それを担う資格(能力)がある人は、それを担っていかなきゃならない ・・・それだけのことだ。
そこはゴールではなく、スタートラインでしかない。
(「そのスタートラインにすら立てない!」は、いい訳であろう。そのスタートラインに立てるよう・・ 努力してきた人がいる。)

話しが堂々巡りのようになっているが・・ あくまでも大事なのは、順番だ。
日本文化を大事にしなきゃいけない・・・ から受け継がれてきたのではない。そこに価値を感じるから生き残ってきたんだ。
制度が秩序を作るんではなく、秩序が制度をつくっている。

そして、コントロールなど出来ないもの(すべきでないもの)を無理やり支配下に入れようとするのは間違いだ。そのようなものは、向き合っていくべきものだ。





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変化し続けるボディ 

完璧な仕組みや儲け続けるメカニズムを目指すべき最終形かのように追い求める姿勢がある。

そのような完成品が素晴らしければ素晴らしいほど、その仕組みの模倣や標準化が急速に広まっていくのは明白だ。
つまり、それはただ単にその仕組みが機能する寿命を縮めていく。

基本的に、この様にまず「ゴール」があって、それを目指していくもしくは維持するという発想は、そのための手段が真っ当であろうとなかろうと構わず採用されてしまう作用を促す。


社会というか人生のすべてとは、自己以外との関係性が全てだ。全て自分一人の中で完結できるような存在がいるとして・・ それでは逆に、価値観など無意味であり、自己以外の存在と関係するからこそ価値観という存在が必要となる。
つまり、ほとんどの人にとって、自己と自己以外の関係性こそ社会の全てだ。

自己以外との関係性とは何を指すか.... それは①存在のポジショニング ②実際にどう関わるか・・ ザックリとこの2つしかない。
各当人が何を目的としていようと、何を重視していようと... 社会と関係があるのは「それで何をした」か「それでどのようにした」かしかない。
何が言いたいか・・ つまり社会という人と人を結ぶ線には手段しか講じることができないということだ。

ということはつまり、手段が真っ当でないということは、社会が真っ当でないという意味になる。
世の中がこれほど正義感過剰だというのに、社会にはどうにも真っ当とは言えないことばかりが蔓延している。その理由とはここにある。
そこを辿っていけばつまり、「ゴールというものが先にあって、それを目指す」ような発想方法自体に異議を唱えなければならないということになる。

・・・このような話しは55政党で散々してきているが、目的についても触れておこう。

結ばれている線自体は全て手段だ。
しかしそれは、発信側-受信側双方の合意があって初めて電波が流れる。レシーバーを強制的に持たされるならば合意がなくても通信は可能だ。しかし、そこを否定する意思は皆同じだろう... という思いで今日はそこは素通りする。

合意すべき内容とは目的にある。目的には価値観でも何でも各個人が勝手に好んでいるものでも活用できるわけだ。ところが実は、目的について議論していくとき、そのほとんどは合意を得られる。(一部の人に利益をもたらすようなもの・・ いや、それはハナっから手段を問う話しだ。)
発信機-受信機でも、チャンネル設定でもいいのだが・・ それは双方(というか殆どの人に)合意を取り付けるが可能だということ。

目的が合意をみるとき、手段など実はほとんど決まっている。.....とと、今日は民主主義の話しではなかった。タイトルにある“変化し続けるボディ”に触れよう。


誰もが未来を明確に予想でき、そして一部に利益が偏り続けることを了承したとしよう... (ありえないが)、であれば完成品を目指すスタイルに深刻はない。
ところが現実は、未来を予測できないし、利益を奪い合っている。
つまり殆ど妄想に近いものを目指しあっているということになる。
そうではなく、一部に確立した価値観(完成品の存在)が現れたとしよう... それはその分だけ次の時代への痛みを伴うということだ。

どうしても目指すベキ形がないと発想できないというのならば、変化し続けることのできるボディであることを目指すべきだということ。
これであれば、手段とはボディ(組織でも仕組みでも)を作り変えるときにしか発生しない。そのボディが採用していくさまざまな手段は、完成形と何の関係もないことになる。

個人ベースで考えれば、それは失敗から学ぶ、立ち直る... つまり成長していける人間性だということになる。
失敗は痛いし、誰もそれを望まない。ところが、その過去に固執していては、それ以降の自分の人生(時間)はいったい何だというのだろう... その失敗から立ち直れた・学んだという経験自体(失敗の成功体験)と、そこで得たものこそが大変に素晴らしい価値であろう。

それで初めて人間として生きる価値を得たということだ。

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