7年経ちました

55政党というブログからの

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壊すカガク 

トヨタは中国でプラグインハイブリッドをやってくらしい。
ガソリン自動車の秩序がそれほど出来あがっていない国家では、新技術の導入は割かしスムーズなんだろう。

思えばバブル時代...
千葉では県人でも首をひねるような地域にまで、新興住宅地が形成されていった。
売るほうも買う方も「とにかく急いで!」そんな声が聞こえるような有り様だった。
一方、先にひと段落している千葉市の団地群.. 住都公団が公団でなくなったこともあるんだろうが、この辺は街ごと使い捨てられているような印象を受けた。

不景気になってからも、公共主導のパワープレーな街づくりは続く。
北総公団や東葉高速といった3セク系鉄道を通し、街をいちから創っていく。

人口は増えているわけではないだろうし..
東京に一層密集しているとも言えないだろう。
これらはただ単に、古い街から新しい街に移動している割合が高いハズだ。


考えてみれば...
古い技術・文明を土台にしている環境よりも、いきなり新しい技術・文明を取り入れられる環境のほうが、何かと実行し易い。
日本の文明開化だって、そのような現象と言えなくもないし、そのような現象の例などきっといくらでもあるだろう。


そのように考えるとき、ふと思ったことがある。

「日本は創るカガクは得意でも、壊すカガクが足りないんじゃないのか?」

壊すと言っても、それはもちろん再構築のことだが.. 再構築の手法がもっともっと進んでいれば、壊す時の抵抗も減るであろう。
現代は、創りたくても壊せない時代。
既得権益保護がそっこら中で喚かれ、今にも自分で自分を食いつくす中国の架空生物かのようだ。

中々捨てないし、なるべく使おうとする。
それはメリットでもあるし、デメリットでもある。
そして地道に積み上げ、研鑽していけるからこそ、素晴らしい技術が実を結んでいる。


しかし、現に多くの場合で見られる現象は..
どうにもしようがなくなった時、各当人の自主性に任せるかのうに放置され、ひっそりと息を引き取っていく。
社会はそれに蓋をする。


ではそれをどうしていったらいいか...
いや、そもそもまず、壊すためのカガクが足りないんだと思う。

現実問題、それらひとつひとつの対策など.. ほんと息苦しいものばかりで、やっつけ仕事のような案しか出てこない。
しかし多くの分野が、“壊すカガク”という視点で研究を再構築していけば、きっと何かが見つかるんじゃないだろうか..。

私たちは(つまり政治は)、そのような各分野の専門家の意見を活用させてもらう側の立場だ。
専門家が専門家らしい研鑽を重ね、一般市民が一般市民らしいキャリアを重ねていくからこそ、それは出来るものだ。
しかし、そのようにしていかなきゃあ未来などない。
正しい分業は、あらゆる方面に拡がり・伸びていく現代社会の基本スキルだ。



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このようなただの一般大衆の一人が政治に吠えてるだけのようなブログを読んでる中に、一体この名前に反応する人がどれだけいるというのか疑問ではあるが.. これはややサッカーの話し。

今大会で事前に名前の挙がる大物はこの2人で十分だろう。
なのでその分、恐らく大会中に新たなスターが現れる。

それはさておき、この2人。
どちらもかなりのスーパースターだ。

C・ロナウドもメッシも、どちらも突破する個人技とパスセンスが一番評価されている。
現状では、C・ロナウドは『使う側』寄り、メッシは『使われる側』寄りというのが大きく違う部分か..。

C・ロナウドは、確かにその突破する個人技は魅力ではあるが、基本的には“必殺技”パターンをいくつも持って(練習を積み重ねて)いるタイプの技術を基本としており、あくまでも答えは自分の中にある。
メッシは、場面場面で出てくる相手の足にボールを取られない技術というか.. 運動能力のポテンシャルが中心となっていて、55ではこれを「答えが自分の外にある」という。

例えばマラドーナをカガクすると.. ボールを持ってる時のスピードが早いことが前提条件であるが、結局のところは相手(ディフェンダー)が一歩足を出す(1アクション)ところで彼は2度触る(2アクション)ことができる。そのメカニズムだけで誰もボールを奪うことはできない。
※もちろん、ただ単にトップスピード下の駆け引きと反射神経でかわす場合もあるが、それは取り上げてもしょうがない部分だ。(だって、どうしょうもないもん。)

メッシにはそのような部分が備わっている。
但し、メッシはボールのもらい方をカガクしなければならなかっただろうし、C・ロナウドはボールの出し方をカガクしなければならなかっただろう。そこが役割の違いだ。

いずれにしろ、これらは間合いや駆け引き(体や重心、タイミングなどを感覚的に身につけること)を積み重ねてこれる環境下でこそ成し遂げられる。


そのような環境面... サッカーをお国の伝統的文化の一種でもあると捉えるとき、要は日本なら武道がある。
ある程度取り組んだことがある人ならお分かりだろう... 武道の中心部は“間合いと駆け引きとメンタル”にある。
対面してすぐに、メンタル面の優劣は判明する。全くのど素人だとしても「さあ、来なさい」位の無敵で落ち着き払った精神状態を形成することが出来れば.. どんな変な構えであろうと、相手は相当警戒する。
実はそんな当人同士の駆け引きだけではなく、ジャッジにも影響する。そのような整然とした構えをする人間の場合、有効打を取ったハズなのに、無効扱いされたりする。これホントに。メンタルとは、それほどでっかく影響している。

次に間合い。実際の勝負の多くは、ここに凝縮する。間合いの取り方、詰め方、離し方... メンタルで差がないとして、ここが“真の勝負”の分かれ道になる。(試合の結果とは種類が違う。)
“来る!”という気配で、足の親指ほど後ろに下げるだけで... 相手が来れなくなってしまったりするんだ。

つまり、そのように真剣勝負をひたすら楽しむ(極める)ことができる環境下で育ってきてこそ... ということが重要で、日本でいう武道の駆け引きは、欧南米でいうサッカーの世界に通じるものがあるんだ。

こないだのサッカーの話しはアメリカを取り上げた。
アメリカには恐らく、そのような環境はない。
しかし少なくとも.. アメリカは『そういう部分は世界にかなわない』ことを理解し、そのうえでカガクしている。

日本では、『C・ロナウドが繰り出す必殺技が効かなくなってくると.. さらにもっとすごい必殺技を編み出そうとする』的な.. そんなイメージの発想法が蔓延している。
星飛馬の世界だね。

巨人の星は、私は小学校低学年の頃に見ていた記憶がある。
そして中学頃だったろうか.. 『よろしくメカドック』というマンガが好きで読んでいた。
この漫画はキャノンボールという公道で勝手に開催するレースに参加したり、次第に公式的なレースに参加していくようになってたりしていく主人公の車のチューンナップを中心としたマンガで.. 巨人の星よりもよっぽど重要な発想が眠っていることを思い出した。

主人公は、キャノボールではセリカXXでニトロという薬品をエンジンに混入させ、一時的に爆発的な加速を発揮するという作戦でレースに勝った。CR-Xでのゼロヨンレースでは、ミッドシップにエンジンを配置換えしたり、タイヤ系だか太さを変えて勝った。そしてフェアレディーZではフルタイム4WDの強みを生かして勝っていた。
...と、そんな風に毎度毎度すごい必殺技や武器を駆使して結果を出していくんだが... 何とこのマンガが最終的に辿りついた先は、そのような武器や必殺技ではなく、足回りや空力といった.. 極めて地味な部分が一番重要だということだった。

必殺技を編み出す系の発想は、一見明快だし、破壊力がある。
しかし、実質はそうではないんだ。
使える条件がとっても限られている。(つまりほとんど使えない上に、編み出すのも大変。)

小中学校時代に同じサッカー部だった元Jリーガー.. 彼は確かにハンパなく上手かった。
だけど.. 日本代表としてはほとんど活躍していない。
そしてその上手さは、実際に対峙してみたいと分からないタイプの上手さだ。

テレビで見ていると、彼は一見、敵に詰められ・・ ディフェンスが出してきた足にあたったボールが上手いこと味方の元に転がって来たかよのうなシーンが何度か出てくる。
実際は、敵が詰めてくることは十分に織り込み済みで、ホントに取られる寸前までボールを引きつけておいて.. 実際にはパスを出している。
テレビカメラではそうは見えない。『インターセプトされてたっぽいけど.. とりあえず味方に渡った』ように見えるんだ。

間合い、駆け引き、体の使い方、そのような一見地味な部分は、そこまで究極な世界が広がっている。
そして試合当日の差配とは... 『全体的に機能している』とか『中々右からの押し上げが出来ていない』とかそんなことではなく... 対峙している相手との1対1の相性がまずは重要視しなければいけない事項だ。
左SBは敵の右WG(的な)と対峙している。敵のスピードと体力が相当なだけで.. バックはもう、頻繁に上がることができない。但し、味方のセンターが強力で、対峙する相手のFWがショボければ.. そっちへのフォローが効く。つまり、中央も手厳しければ、サイドは上がれない。また、スペースの確保や体の使い方、タイミングの取り方など駆け引きの種類の相性によって、かなり優秀な敵であっても十分に抑え込めたりすることもある。
そんな時は敵は対峙する相手を変えるようなポジショニングに変更することが最初に取るべき対策となる。

全体ザックリ見渡して機能してるかどうか.. 狙っていた戦略が機能しているかどうかというのは.. 自分の妄想の世界であって、実際には相手によって状態によって相性によって.. 答えはいくらでも変わらなければならないものだ。

そして今言ってることは、難しいことでも何でもなく.. 今現実に機能していない部分があるなら、それを変えろ!というだけの話し。全体が機能しているかどうかは、確かに監督でなければ見えにくい。
しかし、それを例えば「全体の押し上げが出来ていない!!」などというのでは.. あまりにトホホで、「出来ていない」んじゃなく、「出来ない」わけだ。だから監督が見ておくことは、何故出来ないか?を見ることになる。
そうすると.. 「真ん中左側の攻撃がとても手こずらされている」とか、「さりげなく実はコントロールしていた味方の選手が完全に抑え込まれている」とか.. そういう部分が「押し上げが出来なくなってる原因」だったりする。
そこを修正すればいいというだけの話し。

ところがビックリすることに.. 「今日やろうと思ってた戦法が上手くいかなかった」とか言い出す。
それは・・ 試合が始まる前にしか関係がないことじゃないか∑( ̄ロ ̄|||。試合が始まってから何も仕事してないのか?って話しだ。



このような部分が、答えが自分の『中にある』と『外にある』の違い。
しかもそれは、当人が気付くだけで実現する。

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久々にサッカー関連。
今でもサッカーをアツく語る方々は結構いるみたいだ。
サッカー好きが飲み屋で2人も集まれば.. とたんに「岡ちゃん云々」「戦術が云々」などと止まらなくなる。

そのようなアツい方々の言い分や、近頃の日本サッカーを見ていてつくづく疑問に思うことがある。

私はそのように熱心ではないので、今流行りの戦術や中々キてる選手など知らない。(メッシとC.ロナウドで十分じゃないか?)
だけど私もサッカー部だったし、社会人の地域のサッカーチーム(○○市3部)に参加していたこともある。冗談抜きに同じ小中サッカ-部の同級生からJリーガーも出ている。

そんな適当な距離感で感じるのは...
日本サッカーの中心部やファンの主張する内容が、未だにカズ時代から変わっていないことが分かる。


日本のサッカーは... もうこれは分野的にはスポーツではなく“曲芸”だ。
高度に練り上げられた戦術に息詰まると.. なお一層高度な局面打開技でそれを突破しようという発想が蔓延している。

かつて多くの外国の優秀な方々は「日本人はサッカーを分かっていない」と言っていた。
韓国が活躍して以来、そのような“超上から目線”な意見は影をひそめたようではあるが、まさにこの言葉が的を得ている。

日本に必要なのは、戦術でも、その実践でも、組合せの相性でもない。
●キープする技術(詰めてこさせない距離感、スピード、持ち方も含む)
●取られないことの重要性(取ることを考えすぎ)


これだけだ。
未だに「世界の技術はすごい!」などと言っているが... 正直、日本人の技術は相当にすごい。
高校サッカーですでに“曲芸”レベルだ。
なのにまだ、曲芸を極めようとする。

重要なのは、サッカーを分かっていないということなんだが...。
サッカーとはまず、『ボールをいかに取られないように運ぶか』ということ。

南米は個人技、ヨーロッパは組織力などとよく言うが.. それは点の取り方以前に
●ヨーロッパは、体の使い方や距離感で相手に取らせないようにする
●南米では、個人技で取られないようにする


つまり本来は、これは取られない技術を表す。

攻めに際しても、『いかに取られないように攻めるか』なので、
●取られないところにパスを出す
●出すところがなければ持つ
●カットされないようなところに動く


などの、サッカーとしての基本的な動きが身についているからこそ、それ以上の戦略が的を得る。


組織や戦術以前の問題なんだ。
例えば、ヨーロッパではど真ん中で出しどころがない場合.. ゆっくり歩きながら前にボールを転がす。
ここは、ゆっくり徒歩で進めるからこそ... 当面誰も詰めてこない。
それでもしばらくすれば、詰めてこざるを得ない。なので、その一人分のマークがあくわけだ。当然周囲のディフェンスをその穴をケアしつつ自分の今のポジションもケアする。すると.. これはある意味では穴2つになるんだ。

このような当たり前のことを何も考えてやってるわけじゃあない。そのような駆け引きを日々続けてきたから自然と身についている。
第一、ヨーロッパ人は日本人に比べて明らかに不器用。大きな違いは、取られない技術を持っていることにある。

話しやや戻って.. パス出す先がない場合に、一気にドリブルで突っ込んでいく場合もある。
ところが、突っ込んでいくべき場所、タイミングというのがある。
そのポジションまで緩やかに持ち続けられる(これは攻守双方が分かっている)と.. 特に南米では一気に突っ込む。緩急云々ではなくて、ただ単にそのようなタイミングに出会えたからこそそれを選択しているだけのことで.. これも体にしみて分かっていることだ。
フォーメーションや戦術など考えた上でそれをするような器用な頭は持っていない。

また、詰めてくるにしても.. 欧南米は、詰め始めにそれを一気に“無力化する動き”を知っている。
そもそも詰めてきてそのままボールを奪えるなどと攻守双方思っちゃあいないんだ。右斜め前から一気に詰めてくる相手がいたとして.. 即座に自分が左前にスっと出るだけで急に相手が苦しいことになったりする。そのような駆け引きも、身に染みついているようなもの。
だから、詰めてきづらい距離感、動き方、場所ってのも染みついている。


解説者含め、「すぐに押し上げないと!」とか「サイドがもっと上げないと!」とか言うが.. 本来そんなことは二の次で.. サッカーというのはもっとシンプルなものだ。局面打開の駆け引きの連続でしかないとも言える。
全体を見渡す場合であっても、戦術やフォーメーションなど気にする以前に.. 『玉を狙う人の群れをどのように動かすか』という視点で見れなければならない。
ボールがやや前方45°に動けば(ドリブルでもパスでもいい)、その場所に見合うような形に、全体が移動(流れて)していく。そのように群れをウネウネと動きまわす中で穴を見つけるのがコントローラーの仕事なんだ。
ところがこれも.. やっぱり事前に“取られない技術”が身についてなければならない。


日本が今分析すべき一番の試合... それはアメリカ戦だ。
OPなり代表なりで、確か日本はアメリカに2度も大負けしている。
アメリカは日本よりずっと下手くそ。なのに完敗する。

それは、少なくともアメリカの方がサッカーを分かっている。そしてブレーン陣営が客観的に分析できている。
日本では、首脳部も監督もファンも.. みんな先入観や偏見で凝り固まっている。


事実を冷静に見る時...
●アメリカに大敗すること
●野洲の監督はサッカーのシロウトだったこと


この2点をまずは何よりも重視しなければならないんだ。



中田ヒデなきあと.. 俊輔がそのままその位置(役割)に収まっているようだが.. 中村俊輔は、生かされるタイプではあっても、生かすタイプではない。司令塔であってはいけないタイプの選手だ。
そんなことは.. サッカーを分かっている人ならすぐに分かること。

ところが.. 日本の首脳部、監督、ファン達は、そんなことも分からないらしい。

少なくともヒデは、“群れのうねり”や“取られないベース”での駆け引き、生かし方生かされ方を分かっている。
日本代表に必要なのは、野洲の監督や中田ヒデのような人間を監督にすること。(ベストはモウリーニョだろうけど..。)
それだけでいい。


日本人は、なまじっか器用に出来てしまうからこそ、このような簡単なことに気付かない。
答えは常に、自分の中にない。
答えが出ない場合は、視点を変えるよりない。




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現場の人々の再生 

今朝は朝日から。
現場の人々の再生

55政党では、ここを主題にした主張はしていないが.. そういう現状観察はところどころに散りばめられている。
この記事では、日本型雇用再考だったり、正社員重要!を背後に感じて嫌う人も出よう... しかし重要なのは事実の観察だ。


現在重用されているような経営手法は、リスクマネジメント、効率経営、コーポレートガバナンス、コンプライアンス重視など.. ところがこれらは、
●失敗をしない手法であって、成功するためのものではサラサラない
●一度叩かれたりした企業が採用される場合の多くは、現場ではなく上層部が主導していた

それに輪をかけて、上層部が自身にオイシイ手柄を拾ってくるため程度の発想で、平気で現場に介入する。
さらにさらに、(これは株式会社のみの話しになってしまうが・・)株主重視経営も、このような側面に背中を押す。


現実は、現場が強い-弱いというよりも、上層部のテイタラクが原因なんだ。
欧米での現場は、きっとこうはならない。
何故なら、そうはいっても現場は個人の判断で勝手にやる性質が強い(そういう性質)からだ。であるからこその、企業統治なんであって... 日本人の場合は、そうではない。

そこへの対抗軸が労働者の権利保護陣営というメカニズム... これ、恐らく衰退にマッシグラだろう。
重要なのは、本業に真摯に取り組むことだ。(そういう意味では労組も足を引っ張る側に働くことが多い。)
それがどんどん明後日の方向に行ってる。

日本型の強さとは.. 『上を信任するからこその、局所局所もピラミッド... だからこそ見事な分業が実現される』な形態にある。

あまりにも当たり前な事業の基本線としては、安い時に買っておいて高くなったら売ること。
雇用も、不況時に大量採用して好況時にはアウトソースしてしまうことだ。
こんなことは誰もが分かりきっている。ところが.. できない。

これらは現状を端的に表す明快な現象だ。
そして、これら視点というか姿勢の大きな違いは、
失敗しないための手法は、過去への対策をルールによって取り決め、未来(完成品)を保証しているように見せる。
成功するための手法は、過去の失敗は当事者個人の中に生かされ、未来(完成品)を保証しない。

実際にはどちらも未来を約束などしていない。
失敗しない手法は後ろ向きで、成功する手法は前向きなだけ。

専門家だとかが大層立派な経営手法を展開しようと.. 実際には、当該国の国民性というか、各個人のコミュニケーションの変質にひっぱりまわされているだけのことだ。


個人の勝手個人主義の蔓延が行きすぎた時.. そのリバウンドはきっと、集団主義とか全体主義みたいなものになってしまうんだろう。答えは『個人の勝手ではない個人主義』なのに...。

“個人の勝手ではない”をコントロールするには、CSR(よく言われるタイプの)ほか素敵系な価値観が対抗軸なようであるが.. それでは誰かが決めた正解に踊らされている“哀れな群れ”でしかない。
重要なのは、“良くあろうとすること”“改善していこうとする思い”そういった、ベクトルを支援するチカラだ。確定出来る事項とは種類が違う。

日々変化し続けていけること、改善していけること。
“どう”変化していくべきか?は重要ではない。そうしていこうというベクトルであることが重要なんだ。なので結局、法やルールで決めるよりも、道徳や秩序が重要だ。


私のような発想は.. 「そりゃあ大衆には無理だ」とか仕事上でも「そんな難しいことはパートのおばちゃんに期待しちゃいけない」という風に言われる。しかし、大衆やパートのおばちゃんのような方々の意思・意見の重要性は拡大してきているし、そもそも自分自身が一般大衆だ。自分らが改善していこう.. という話し。

そして組織は、何がどうだろうと.. 組織の問題は常に上層部に問題がある。これは明確であり明白だ。
トヨタのように、『カイゼン』と『見える化』が実現されているそのことは、大変に素晴らしい。繰り返すが、そのような採用されている形態を素晴らしいと言ってるんではない。それが実現されているという事実が素晴らしい。
どんなに素晴らしいと思える教科書(価値観)も、実効力を持たせることのほうがずっと難しい。そして何より、それを教科書と捉えないで、変化し続けることのできるボディであることと捉えることが重要だ。

IBMという存在が現実にある以上、大企業であっても変化し続けていくことはできる。



話しを逸れ続けて... 一体どこに着地したらいいのか分からなくなったのでやめる。また後日付け足すかもしれない。
とりあえず、基本的信頼-不信とか、皆を善人と想定-悪人と想定では終わらせたくない話ではある。



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存在を『認める』『許す』『尊重する』 

先日は、『個人主義』というものを考えていくべき!という話しを出した。
そしてそれが、正しい民主主義の習慣(姿勢)と関係している。
また、答えを先に決める手続きについても度々指摘してきている。

そっから今日は、やや私の妄想になるのだが・・
そのような事柄の多くはきっと、人を認める.尊重する.許す ことに係っている。そしてそれは自己以外とは限らない。自分を許す.認める.尊重 することも関係している。

誰の意見が正しいかどうか...
そこで私たちにとって重要なことは、その意見の内容だ。“誰”かどうかが重要なのは、本人でしかない。
さらに、その人の意見が100%当人だけのモノだと言えるわけがない。それぞれがそれぞれに周囲でも本でも何でも.. から吸収したり経験したりして、その論を形成するに至っている。そしてそれはいくらでも変化していくものだ。

つまり本来は、主張主自身にとっても、より良い答えを導くことが望ましいと意識してはいるハズなんだ。
そしてその主張が論破されると相手の主張を認めるんだろうか..
いや、その前に大事なことがある。議論のほとんどは、条件の限定や意思・思いが前提・出発点になっている。
「前提が100%“真”であるのあらば」「皆がそう望んでいることに変わりがないなら」という仮定が常に潜んでいる。
そして議論を重ねれば重ねるほどに明らかになること... それは議論の内容ウンヌンではなく、その仮定・前提が人によって異なるということなんだ。
つまり「あなたの前提、意思、仮定に立って考えれば、それは“真”だろう」というのが大方の場合の正しい答えになる。

誰かを救いたいために主張している人、自身の名を上げるために主張している人、飼い主から送り込まれている人、そのような方向に導かなきゃいけないと確信している人... それら各自が背負っているものを否定することなんてできない。そんなことは、人それぞれ勝手だとするしかないんだ。

つまり、自身が自身の主張に確信しているとして... 他者が他者なりに確信しているということも、(自分と同じように)認めてあげなきゃならない。※これは先日の夏目漱石『私の個人主義』項と重複している。

そしてそれを“認める”ということは、相手の背景の存在を“許す”ことであり、つまりは相手を尊重するということになる。
この姿勢を身につけておかないと.. 議論もクソもないということだ。
でなければ... この話しのスタート地点に戻ってしまう。
そう、“誰”であるかが大事なのは当人自身だけ。
つまり、相手を認める姿勢を身につけておかなければ・・ 自分だけの世界になってしまうということなんだ。

アメリカ人の多くは、法治が浸透し、そしてリスクから過剰に自身を守る意識が高いように感じられるが.. しかし、自己を認めるとともに、他人もまた同じように認めるという... 大人として当たり前の姿勢を身につけている。
そんな部分こそが、『個人主義』に係っている。


『認める』『許す』『尊重する』の及ぼす影響はそれだけに留まらない。
自と他の関わりつまり全てのコミュニケーションに影響している。
私の妄想では、人を認めることができない + 過剰な正義感 = ステキな世界の住人さん(勘違い野郎)となる。
そしてそれは、『自分の中に世界がある』のか『世界の中に自分がある』のかの違いが大きく関係している。
別にどっちが望ましいのかは知ったこっちゃないが・・ 周囲を見渡せば、『世界の中に自分がある』のが“真”とするよりないだろうよ。一生引きこもって外部との関わりを完全に絶って生きていくことがホントに可能ならば、『自分の中に世界がある』のも“真”と言える。しかしそれは、不可能だ。
世界の中に在る自分を、認めてあげるよりないんだ。
であれば.. 自分が成さなきゃならないことが出てくる。そして同じように、他人にも成さなきゃいけないことがあることを知ることとなる。

中学生くらいの子が、万引き常習犯だとしよう。そして「これはいけないことなんだよ。これを作る人・売る人その他いろんな人が~なんちゃら」と言ったところで、その子は親がどうしようもなく、そして兄弟を食わせていかなきゃならないかもしれない。それは間違いなく正当化されるべき行いだ。
だから社会が出来ることは、そのような境遇の子を社会が保障する枠組み(秩序)に組み入れてあげることとなる。
・・・これは分かりやすい例だが、大凡容認できそうもないことであっても、それなりの理由や背景・意思が存在している。だからまずは、相手を認めてあげる姿勢がなければ何も解決しない。そうでなければ、自己満足の勘違い野郎でしかないんだ。

そして“相手を認める”ということの意味が難しい人は少なくないだろう。
それには、自分(もしくは現実でもいい)を認める・許す・尊重することを理解することから始めなければならない。
究極のところ、親や大人の役割とは、そのことを自身で身に付けていけるボディ(脳含む)に育て上げていくことであるだろう。そして日々日常の習慣や文化・コミュニケーションというものが、自然とそのような成長を促進していたり、妨げていたりするのものだ。だから、一朝一夕でそれが実現できるわけがない。しかし、そのこと(概念・発想)の存在を知り、そして重要性を理解することから、始めることができる。


最後に、政治(民主主義)の話しに戻る。
『立場も性別も民族も超えて仲良く利益を分け合っていきたい』陣営も、『弱い立場(労働者)の意思を背負って、その人らに利益を配っていきたい』陣営も、『世界は奪い合いであり、自国が団結してそれに挑まなくてはならない』陣営も... それはそれでしょうがないだろう。
重要なのは、国会の場(立法の場)というのは、そんな人らの奪い合いの場ではないということ。そんなそれぞれに背景を背負っている人らが、お互い納得ができるように話しあう場である前提で制度設計されているんだ。

そして度々だが、ハイエク等自由主義的主張とは、多くが納得し、進んで従うようなルールでなければ実効力を持たないことを説いている。

奪い合いなら奪い合いで、まあしょうがないんだが・・ であれば、それは『龍馬伝』を見誤っているということになろう。




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