7年経ちました

55政党というブログからの

どちらもこのところ特に取り上げている内容なんだが...

(日本郵政)与謝野財務相と菅選対副委員長が正論である
---中川秀直さんのブログ

「安心・安全」はタダではない
---池田信夫さんのブログ

まず日本郵政。
秀直さんの話しで行くと、鳩山大臣は「刺し違える」しかないほどの段階まで自分で追い詰まってしまっているようだ。ホントにそこまでしなきゃならなかったんだろうか... 引くに引けなくなっただけなら、いくらなんでもきっかけはほんの小さな人間性の問題だ。
そうまでしてでも通さなきゃいけないとすると、これはよっぽど深刻なことだろう。


次に、「安心・安全」なんだが・・
これは経済財政諮問会議へのレスポンスだ。先日私も取り上げたが、負の消費税も取り上げていたところは見逃していたが、全面的に同意する。

ここで取り上げたいのはその本筋以外の部分だ。
池田さんの記事内に「私が「終身雇用を廃止しろと主張している」などというばかげたコメントが多いが~」という記載がある。これは私の意見でも、そのように解釈してしまっていた。勝間さん論を取り上げただけだったんだと解釈しておこう。

次に、このブログのコメント欄がとても気になった。
・「安全・安心」はもうたくさん
・「安全・安心」は大事だが、費用効率の問題。
・日本は十分に「安全・安心」
というような視点での意見が多いが...

ここは本来、「安全・安心」の実質を問うてはならない。
●「安全・安心」は、行政機構の強化のためのキャッチでしかない。
●現にそこを大事にする国民は、「執着した幻想」が拡大しているだけであって実質とは関係がない。

ここを何故厳密にしなければならないかというと、今の時点から問われる「安全・安心」には、もう実質はない。しかし、このままだと実質を問われ続ける。
「あんたにとっては大事じゃないかもしれないけど、私には大事なんだ。」と言われればそれで事足りてしまうということだ。
「安全・安心」に実質などない。そこへの執着を、どの程度ので止められる(自制できる)かどうかこそが人間性だ。「不安-安心」のメカニズムとは、動物としての能力だ。
それが社会によって保障されるようでは、動物として問題がある。
そして、社会にとってそれが大事であり、日々の行動もそこに係っているというならば・・ その人の人生の多くは動物としての人生という意味だ。

日本がこれ以上「安全・安心」になろうものなら(なりませんけどね)、それは外来種が侵入してきたらたちまち絶滅の危機にさらされるような人種となるだろう。

昔私が喫茶店でアルバイトをしていた時、店のエントランス付近をモップ掛けしてそのままモップを外の置場的なところに置きっぱなしにしていたら、先輩店員のイラン人は「ダメダヨー、モップ盗まれちゃうヨー」と言った。
また、以前渋谷で人と待ち合わせをしていて、車をエンジンかけっぱなしで路駐して、広場のハチの方に迎えに行ったら、欧米人らしき人が「車盗まれないか?」と言った。

当時としてはどちらの意見にも「え?」という感じだったが、この国の外にはそのような発想が当たり前の外来種ばかりがいるんであり、これ以上「安全・安心」を拡大させてはむしろ危険だろう。

いやしかし・・・ 今はどちらも可能性を感じる。それは外国人ではなく、日本人にだ。
では、「安全・安心」が減ってきているのか?そうではない、これは人間性が変質してきているということだ。生み出しているのは私たち自身で、それを制御するための社会装置を増やしていこうと何しようと、原因を変えなければどうしようもないことだ。

私がここで日頃から大事にしている主張の多くも、そのことに係っている。
①見張り且つ、信じる
②目的のために手段を選ばないことが悪

①については、この様な社会の実現こそが、何より素晴らしいことであろう。
②についてだが、合理的人間性がそれを作り出している。理に叶うことが人間性ではない。
※「どっちにしろ、金のために働いてるんだろ~」という意見の人が多いが、それを納得する人間は、今一歩自身への理解が足りていない。目的とは意志だ。“目的が金”じゃあ... それではあなた自身である必要がないどころか、人間である必要すらない。


無罪を証明できなければ有罪になってしまうかのような世の中が、合っているハズなどない。

今の時点から強化しようとしている「安全・安心」とは、そういうことだ。


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