7年経ちました

55政党というブログからの

昨日だか・・ クルーグマンと与謝野大臣が対談で盛り上がったそうだ。

●じゃんじゃん札を刷れ
●消費こそ正義

・・そう言わんばかりの内容だったそうで、与謝野大臣も大変に同意しているようだ。
ノーベル賞経済学者が言ってるんだから、理屈的には一理でも二理でもあるのか知れない。
しかし、そちらのアル・ゴアさんが流行らせたエコブームの威力は半端ではない。

今から無理矢理消費を煽るなど無理だろう。
経済が回復するなら、そのような発想が許されると思い込んでいるそれ自体に大変に深刻さを感じる。

近頃のアメリカ映画は、独身女性や主婦が買い物しまくりでカードが無効になったって「あっけらかん」みたいなのが流行ってるようだが・・ 日本人は元々、エコが大好きなんで今回のブームはかなり響いている。

そして「じゃんじゃん札を刷る」ことについても、私のようなただの大衆にとって、札を刷ったところでいったいどういう流れになるのかまったく分からない。

日銀が札を刷る→国債を買い取る→国家から消費する
としか解釈できない。まさに官僚天国... そんなイメージだ。

そして、この対談の中には、通貨発行量を増やせば円が下がると出ていた。
円が下げれば輸出も順調になると..。
ホントにそうなるのなら別に構わないのだが・・ それにしても円が高いと言っているが、ヨーロッパの物価の高さを考えるとき、とても円が高いとは思えない。第一、現在95円.... ドル円では至って今まで通りだ。

それに、デフレデフレ言ってるが、日本の物価の下げは中国という... メガトン級の事情が影響しているのであって、一昔前から物価がろくに上がっていなくたって、それはテクニカルな部分とは言い切れない。


.....まあいいや、シロウトの妄想ではここで限界だ。
今日は、消費を考えたいんだ。

大規模マーケットや、これからの動向ばかり注目されてしまうが、そもそもの疑問を感じることがある。
私たちが欲しているものが提供されれば、売れるんではないのか?

エコだからという理由で、多くのものを新たに大量のCO2を発生させて生産するということは、結局それが矛盾している云々ではなく、私たちがそれを欲しているということだ。

そのような大量生産大量消費の余韻を引きずる感じすらいやだというのなら、リサイクル・リペア市場がもっと発展するだろう。「直すより買った方が安い」な時代が終わりを告げるということだ。

そして何より言いたかったことは、私たちは実は高スペックなものなんかより(技術や性能を追い求めることより)デザインや、「それを持ってる私が素敵」を欲している。
つまり、それを作ればいいということだ。
それだけじゃない、音だって、景観だって、空気だって....。

携帯電話など、今のような高スペックに若干辟易している人だって少なくない。
パソコンだって車だってデザインが売れる決め手となっているものは少なくない。

家、空間、環境、街並み.... これらをデザイン重視で売っていけばいいのではないのか?
特に、現代はもう、東京に一極集中するメリットはなくなってきている。ということは、住居もわざわざ中心部に固まる必要がない。私たちは、車が不便だとしても、きっと地元では石畳の道路を欲するハズだ。
先日は渋滞にハマりながら千葉の片田舎の畑・林・谷間の風景に埋もれていて思ったのだが・・ そんな無秩序な片田舎の風景だって、そっこらじゅうに張り巡らされている電線と電柱さえなければ、なかなかの風景に違いないんだろ~と感じたものだ。
今日だって、幹線道路の渋滞や駅前の混雑を走りながらも、時たま現れる竹藪や林を通り過ぎる時の心地よさはハンパではなかった。

今、自分の目の前にあるもの... シャーペン、ノート、水のペットボトル、たばこ、インスタントコーヒーの入れ物、パソコン、プリンタ、スピーカー、携帯、目覚まし.... どれだってデザインが気にされている。私の場合、特にデザインを重視して選んでいるのかもしれない。

このブログのスキンだって、私は読みやすさを常に気にして選んでいるが・・ 今回に限り、読みやすさとデザインのギリギリの部分で選んでいる。白黒反転はモニターによっては見にくかろう。


そして今どき、介護、介護と言われているが・・ 今日だって気になったのは、老人ホームが大通り沿いに面しているものが少なくない点だ。そんなとこに住みたいか?第一、うるさい。窓を開けられない。排ガス臭い。バスが通れば部屋の中が見える。
施設を通り沿いに作るしかないメカニズムに一番腹が立つ。

音は大事だ。現在私の家は大きな駅の近くの住宅街にあり、大変便利だが・・ その分区画が密集している。前の家と比べて明らかに感じるのは、心地よくないということだ。そして周辺の音がこもる。


クルーグマンの件のように、国からじゃぶじゃぶ消費するしかないのなら、電柱制度をやめてほしい。そしてそれ以外のグランドデザインにも多くを費やしてもらいたい。


そしてまだまだある。
素敵な空間を演出するような喫茶店は、とても人気がある。神保町の『さぼうる』とか...。
飲み屋だって、素敵な空間が売りになっているとこもある。浦安には、全品オール300円なのに、吹き抜け2フロアでカウンター前の酒置場の感じと、そしてなぜかよくガイジンさんカップルがそこを陣取ってたりして・・ そんな雰囲気自体が大変イイ感じな飲み屋があった。(今は知らない。)
そのような空間だって、そして時間だって.... まだまだもっと欲しい。

街路樹が素敵なことになっている通りは心地よい。さりげなく松戸なんかはそんなとこが多い気がする。
成城の高級住宅街は、家も道路も、桜だったか... 思い出せないがとにかく大木をよけるように作られている。木は斜めに伸びていたりするし、付け根の回りはアスファルトが盛り上がっちゃってる感じになってたり、さりげなくかなり危ない。んでも、それが何かイイ感じだ。
八ヶ岳の別荘地域では、まさに満点の星空なんだが・・ どういうわけか、木々に覆われている隙間から見える星空が最高に素晴らしい。

デザインやセンスとは、必ずや浪費をするというわけではない。それで時間や空間が買えるんだ。
性能を追い求めると、いつまでたっても足りない。現に、現在は少なくない人たちが性能が良くなりすぎて放棄している。それはある意味、自覚症状のない、ニーズとのギャップだろう。

歌川広重の世界のような東京だったら、どんなに素敵だろうか...。


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