7年経ちました

55政党というブログからの

新自由主義と非福祉国家への道 

新自由主義=非福祉国家であるかのようなトラックバックコミュニティを発見した。
別にそのコミュニティをどうこう言いたいのではなく、新自由主義をそのように括って自己の中で確定させている人が少なくないように感じる。

渡辺美樹さんのように、何でもかんでも「競争原理で解決できる。」と言いまくっているあの発想を新自由主義と呼ぶのならば、そのようなものには私も全く同意できない。
ワタミさん的スタンスは私の場合、「競争原理でも解決できる。」と表現し、それぞれの諸問題への対応はそれぞれにベストな方法があるのであり、“でも”を深刻に捉えている。

度々だが、新自由主義の権化ミルトン・フリードマンは「正しい目的を目指すにも、正しい手段を用いるという大目的を優先させなければならない。」と言っている。
目的のために手段を選ばない非常に評価の高い方々がいる。必要悪がむしろ合理的なものがあり、それを認めない姿勢は偽善だとまで言いたげな方々がいる。そういった発想こそがそもそもの間違いだ。
ワタミさん的新自由は、確かに正しい手段を用いないとは言っていない。しかし、そここそが重要な分岐点だ。大事なことは、そのことに対するベストの対処法を優先すべきであって、問題を問わずに先に方法論が確定していることが問題なんだ。

新自由主義の本質は、競争原理にない。

あれがいいか?それがいいか?「いやそもそも... 」ではなく、
①選ぶことが出来ないものにこそ多くの問題点が潜んでいるんだということ。

そして、「だから無理やり選べるようにしろ!」というのではなく、
②「真の問題点をしっかりと見極め、それを対応していこう」ということだ。

そして法やルールの実効力とは、強制や偉い学者の意見や多数決にあるのではなく、
③皆が進んで従おうとするようなものにあり、

一見そうではないようなものであっても
④皆で議論を深めていけば、自動的に多くの人に理解が浸透していくことによって、相互理解が深まっていくという手続きがそれを可能にする。

・・・・これが新自由主義だ。

その上で、この話が一体どう解釈すれば“非福祉国家”と結びつくのか全く理解できないのだが... 結局これが「大きな政府-小さな政府」に結びつくからなんだろう。


あえて言うなら真実は全く逆だ。
管理統制機構が必要のない部分での社会コストを削り、それを本来必要としている部分に回そうというのが、新自由側だ。
この部分を確信している私からしてみたら、新自由主義=非福祉国家という発想をしているのは公務員なのではないか?と思えるほどに全く根拠を見出せない。

そういうと今度は“管理統制機構が必要ない”の部分がひっかかるのだろう。今どき民間は、何か1つのことでポシャると途端に潰れかねないほどのダメージを受ける可能性のある環境下にいる。それほどの統制機構より優れた機構があるだろうか?
また、それほどダメージを受けない失態の場合、それは逆に、わたしたちにとってそれほど重要な失態ではないということになる。
役人や公的法人が「しっかり見ていますから。」という仕組みがそれより優れているとはとても思えない。フルオープンにしておけばそれでいいわけなんだ。

そのようにインチキコストを削減することで、皆の税金はより望ましいところに充てることができる。
それが自由主義だ。
※ここで“新”を外したのは、新自由主義というのがいったい何を指しているのか分からないからだ。“新”が付くと、競争原理万能主義のことだというのならば、それを言う人らが向かう対象などほっとんど存在しない。小泉さんでも竹中さんでも安倍さんでも秀直さんでもヨッシーでもない。
逆に、その人たちを“新自由主義”だとするならば、それは私で言うところの“自由主義”と同じ意味になる。



スポンサーサイト
CM: 0
TB: 0

▲Page top