7年経ちました

55政党というブログからの

思考停止社会 

郷原信郎さんの本を読んでみた。

思考停止

私は以前から「コンプライアンス重視」な姿勢を批判している。
アメブロ時代の記事では、それ絡みで郷原さんの記事を出したことを記憶している。

本の中身に入ろう。
伊藤ハム
不二家
耐震偽装
村上ファンド
ライブドア
ブルドックソース
アーバン(不動産)
など、ここ数年で散々叩かれた企業群の問題が、出ている。
ジャッジ判断の深さが、細かく丁寧であり、そのことに携わっている方なんだな~と感じさせる。
不二家の件は文中にもあるとおり、ご本人も実際に携わっている。
伊藤ハムなど・・ 偽装でも隠ぺいでもなく、そもそも伊藤ハムの問題ですらないと良く分かる。
金融方面は、どうやら詳しいからこそなんだろうが・・ ちょっとこの判断には一般市民としては同意できない。

そのような一連の企業の問題から始まり、経済司法→裁判員制度→年金改ざん→メディア→社会政治へと話しは進んでいく。

かつては、政治で決められる「法令」の部分と各自が勝手に律する「遵守」の部分はきちっと棲み分けがされており、「法令」の範囲が狭かった。しかし今はその範囲が「遵守」部分にまで拡大してきている。....とこれでは暗に自由拡大への批判になってしまいそうだが、郷原さんの結論としては、
『法令を中心にして市民が理解し協力し合う「真の法治社会」が必要』
『立場の違いや専門知識の有無の違いを超えて、関心を持つ市民が共通認識を持つことができるようにコミュニケーションを図り、対等に話し合い理解し合うフラットなコラボが必要』
『企業・官庁・消費者・国民との間に健全なコミュニケーションを図っていくことが必要』
・・・と結んでいる。

冒頭部の各企業の問題についても、企業と社会と法適用者のその間を注視した話しが進められている。
不二家では、「発覚したら雪印の二の舞」という言葉が社内で重みを持ってしまったようだが、これを持ち込んできたのは外部コンサルだという。伊藤ハムは、ジャッジした保健所。耐震偽装は現実と建前の狭間。ライブドアは経済司法の能力の低さ。ローソンの鯖寿司自主回収の件も含め、現実と適用の狭間を世論によって判断が動かされるサマが映し出されている。

この辺、55政党では、それぞれ各個人の人間性の問題として取り扱ってきているが・・ これを読んで思ったことは、『最初のヒステリックな状態でジャッジをしなければいい』ということだ。ヒステリックな状態のまま現実を動かしてしまうことが間違いで、現に私たちは結局雪印と不二家の罪の重さの違いをしっかりと分けている。ミスドはハッキリと覚えているが、伊藤ハムなど覚えていない。
注目され、話し合われていけば、結局多くが正しいと感じられる地点に着地できる。

私は以前から、「すぐに対策案を用意するクセ」を深刻だと扱ってきた。むしろ社会からユーシューだと評価されているような人間こそそのような行動を取ることが多いのだが・・ それはここにも繋がっている。
社会問題として取り上げられそうな案件に関しては、すぐに対応することこそ一番深刻な可能性がある。郷原さんのように、消費者や関係各所の意見も取り込んで(巻き込んで)メディアで議論されていくことこそが最良の地点に着地する可能性が高いということだ。
伊藤ハムの件など、しっかりと説明されれば(メディアがしっかりと伝えていれば)問題となるハズがないものだ。日々工場で使用する地下水の水質管理が行われている中で、シアン化合物の値がオーバーした日があった。それを「地下水を使用する周辺はダイジョブなのか?という思いを含めて保健所に相談にいった」ということだ。それに対し、保健所はそのような水で食品を作っていることを問題だとジャッジしたそうだ。
最悪、マスメディアが面白がって取り上げるのはしょうがない(諦めるべきだ)、そしてそれを見た消費者は当然過剰反応をする(これもしょうがないだろう、そんなニュースを見たんだから)。問題なのは、そこで何かを確定させてしまうことだ。
よくよく細部詳細がハッキリしてくれば、それが問題だったかどうかは分かることだ。つまり決着まで議論していく環境、追っていくメディアが必要だということになる。
これこそがハイエク的自由主義の真骨頂であり、私が言う新自由主義とはここにある。


最後に、裁判員制度への意見は全く賛成できない。
「以降に問題を残す」としているが、そもそも専門職がジャッジしていくことが現実的妥協だ。
そうはいっても、全体としては、この論点(視点)自体が一番大事なことだし、とても参考になった。


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