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55政党というブログからの

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モーニング娘に学ぶ 

以前に『モーニング娘やSMAPに感心する』と出して以来、ちょくちょくモーニング娘のYouTube映像を見ている。
そして今ではすっかりファンになってしまったようだ。


私はここでほぼ自由主義陣営を支持する意見を展開しているが、それでも“日本人らしさ”を完全に軽視した発想には否定的だ。
“らしさ”など作り上げられた虚像だと捉えることは可能だが、それでも今既に自分がそうである以上それを避けることはできないし、国家というものにはそれぞれの歴史や状況や個性があり、“同じ制度”が同じものではないと考えるのはむしろ真っ当であろう。
ここで重要なのは“らしさ”を制度で強要すべきかどうか・・ であり、“らしさ”を無視するのは歴史・経緯を無視することと同義に他ならない。

アイデンティティを自分の根源かのように捉え、日本人らしさや国家・国益を過度に重視し、法制度に組み込もうとする右翼的発想は支持できないし、男女平等・弱者救済・世界平和を過度に社会に要求し、目的のために手段を選ばない左翼的思想も支持できない。

その点、自由主義陣営に最も同意できるのは、何を法制度とすべきか・・ をカガクしている部分にある。この世のほとんどの物事は、その対象と自己との関係性こそが何よりも重要である。どれだけ重要で、そして皆に理解されている価値観であっても、それを制度化すべきかはまったく別の問題だし、逆に皆がそのように支持する価値感であれば、わざわざ法制化する必要がなくなる。

それに、自己以外の存在は、自分が好きにしていいわけがない。(私の主張では、自己ですら自分の自由ではない。)つまり、自分が何かを重要だと確信しているように、他人もまた何かを重要と考えているわけで・・ それを強要することなどできないわけだ。もし、その他者がまだまだ経験不足であるためにそれを理解できていないと確信していたとしても、それを経験する機会を奪っていいのかは微妙なところだ。そうでなければ当人はそれを確信することができなかったかもしれないわけだ。

そして、制度は人を作るかもしれないが... しかし、制度とは結局活用すべきものであり、縛られるものではない。つまり、どんな制度にしようと結局は自分たちがそんな世を作っているということから逸れない。


自由主義陣営の中には武士道や道徳というものを大変に軽視する方々がいるが、ハイエクなどを読めば分かるように、自由主義は決して道徳や慣習を軽視していない。というかむしろ、重視している。ポイントとなるのは、あくまでもそれを法制度に盛り込むべきではないということであり、道徳・慣習と法制度の二段階の社会秩序システムを指しているわけだ。第一、道徳が法制化されれば、それはその瞬間から道徳ではなくなってしまう。

私の場合、その道徳や慣習に係る部分として、リスク・機会・葛藤・成長・時間を重視している。つまりこれは法制度の話しではない。が、社会政治の範囲において、あくまでも自覚が促されるべき事項ではないか?ということを訴えているわけだ。
リスクを取らないこと、効率的な人生を選択することなどの価値観が、道徳・慣習を侵食していると考えるわけだ。

今どきの人々が、当人たちが自覚しているようにホントに合理性的になってきているというのならば、「成長は、葛藤の後にセットでついてくるもの」という... 鉄板な法則を、飲まなければならないことになる。そのような選択こそが“合理性的”というわけなんで。
ところが実際は、“成長”というのはキレイ事で、実際に必要なのは結果だけだというならば、そんな選択をする必要はない。但し、それだと“キレイ事”が必要がない。し、現にそんな今どき風な主張は、そのようなキレイ事や建前をきれいさっぱり排除したコミニケーションを見せる。

ここで問題が発生する。それは、命にも時間にも限りがあり、約束されていないということだ。大目的である結果Aを得るために、中目的BとCを実現する。中目的BとCを実現するために、小目的CDEを実現する。ということは、今実現しようとしている段階が小目的DとEだったとして・・ 思いがけず、命が終わってしまうもしくは大きな状況の変化が起こってしまった場合、基本的にそれまで費やしてきた時間は無駄となる。その実現に費やしたのは、そのことによって何かを身につけるのではなく、結果を求めていたのだから....。

そして人生とは、そのようなことだらけだ。
そして次に鉄板の法則が待っている。「結果というのは、先に求めるものではなく、後から付いてくるものだ。」ということ。それで望む結果が得られなかったと思うならば、それはそれまでに費やしてきたものが至らなかったということだ。


また、別の視点がある。同じように何かを目指すとして・・ 個人の能力を磨くことよりも、目指すものへ機会が与えられることの影響の方がずっと重要だということ。これは人間的なコネクションの話しにとどまらない。
人生ハウツーものの多くに、「より強く目指したいと思ったものが成功する」とある。ところが、“強く思う”には環境が必要なんだ。時には、「それしかない」というところまで選択肢が奪われなければならないかもしれない。時には、何が何でもそれをなさなきゃいけない理由があるのかもしれない。もしかしたら、自覚のないままに見事に洗脳されているだけなのかもしれない。いずれにしろ「思え!」と言われたって不可能な話しだ。
加えて近頃は、怠惰であっても社会が救ってくれる。

人は、まずは兄弟よりも... そして同級生よりも... そしてライバルよりも、先んじたいと思うものだ。安心・安全で平和な素晴らしい世界は、そのような人間の習性を削いでいる。



リスクはヘッジするものではなく、向き合う(付き合う)もの。
機会は大切なもの。自己の外の世界は自分の通りにはならない。ということは自己の外の世界と結び付くということは自分の努力だけではどうしようもないものだ。そして、時間をコントロールできる人間はいない。明日は分からない。
どんなに立派な人だろうと、どんなに怠惰な人だろうと・・ 人生の初心者であり、一回きりだ。そして皆に等しく24時間しかない。
そして、“自分にできることが自分がしなきゃならないこと”的な話しは、椎名林檎の時にも出している。
先の葛藤と成長を含め、これらの事項はモーニング娘の中に強く感じられる。

雨の降らない星では愛せないだろう』という歌に、“陸のない星にはならないように、僕たちが精いっぱい歌う”というフレーズがある。
みかん』という歌に、“人生は1回”とか“今日も明日も、毎日は24時間”というフレーズがある。
LOVE&PEACE』とい歌に、“誰も彼もが人生の初心者だから”というフレーズがある。
ここにいるぜぇ』という歌にも、“一度きりの人生”というフレーズがある。


これらは作詞をしているシャ乱Qのつんくの言葉であり、商売っ気たっぷりな戦略だし、ステキ事であろう.... しかし、この子らはきっとそのような機会・時間・成長・つながりというものの重要さを理解しているように感じられる。

かわいいと言っても特別とも言い切れない。そして特別に歌がうまいわけでも踊りができるわけでもない。これは妄想だが・・ 優秀な人間を選考してきたとはとても思えない。正直、若干頭も悪そうだ。
そのような子らが機会を与えられ、だからこそ必死に取り組んできて・・ そんな時間が今の自分を大切にするし、そして一緒に作り上げてきたことの素晴らしさを知っている。ただ単に“自分大好き”だったとしても、うまくいかない時やうまくできた時があるからまた頑張れるわけだ。
卒業というのは、別に意図があって始めたわけではなく、商業ベースでの話しに過ぎない。が、それがまた、時間や機会や出会いの大切さを痛感させられる。


そして驚くのが、歌も踊りも・・ 私の知るモーニング娘の水準を超えているように感じた。
リンリンという中国人の『青空がいつまでも続く未来であれ
そして高橋愛、新垣理沙、亀井絵里、田中れいな などは宝塚との合同のミュージカルに驚く。







リンリンさんは、リンクYouTubeの大体7:00あたりにソロが出てくる。
新垣さんは、ミュージカル1/16の6:40あたりの音域がスゴい感じだ。
亀井さん含め、この子らはモーニング娘ではあまり歌うパートが多くないように感じるが・・ 以前のヨッシーさん含め、つんくは低めの声をあまりメインにしたくはないのだろうか....。

まあ、これからも注目していきたい。


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