7年経ちました

55政党というブログからの

根拠なんていらない③ 

なんと、いつのまにチキリンさんもBLOGOSにUPし、そして本日のサイト内記事アクセスランキングが1位になっているじゃないか!!
必要なのは“OZAWA 2.0” ---Chikirinの日記

と、今日はこれとまったく関係ない話しなんだが・・
55政党では随分と前から“根拠なんていらない!”という主張をしている。

これは主に子供の教育やしつけに関する話しなんだが...
●小さなことでもちゃんと順序立てて説明をし、子供当人に納得してもらってからアクションする姿
●どうして△△しなきゃいけないんだ!というような姿勢に対して、キチっと根拠を説明してアクションする姿
このような・・ いかにも素晴らしいかのような行為を、大変に深刻に思っているわけだ。

この部分に関して、まずよく考えなければならないのは“理由や根拠がなきゃ納得できない事項である”ということだ。(だから55政党では、根拠や理由を“言い訳”と解釈している。)
また、納得できる-できないような内容でなくとも、“頭が良い”とされている子供などは物事を関連付けして覚えていくことが多いようで、その姿勢もまた物事の多くに根拠や理由をつけ易い。

これの何がいったい問題かというと・・ そもそも根拠や理由というのは、合理性的な思考の中の話であって、世の中にはそれで収まらない事項など無数に存在している。自分自身の多くについてだってそうだ。ところが、何でもかんでも根拠や理由を求める習性を身につけることで・・ そのような説明のつかないルールや規則(性)を自身の中に取り込んでおく器(場所)が確保できなくなっている。


この部分について、自分の中で近頃の自我-超自我方面の考察と結びついてきたので取り上げてみようと思う。

まず、合理性的な思考は、やることも考えることも・・ 常に効率性や合理性を追求している。これは日々というか... 常に脳が行っている作業だ。
ところが、現実の世はそのような規則性や合理的性では解釈できないことで埋め尽くされている。
つまり、そんな優秀な脳が必至に理由・規則性・根拠・関連付けを行っている対象は、実際には正しくない・・ ということになる。優秀なのに、自身の行動方針自体が間違っているわけだ。
そのギャップのせいで自らドツボにはまっていく。...真に“合理性的”だというのならば、まずはそんな行動方針自体を取り下げるべきだろう。

ところが、それは自分を見る自分の存在がなければ気づくことができない。
とても関係の強い他者に指摘してもらったら治せるように思うが・・・ ところがその当人は自身を修正するにもやっぱり根拠や理由を必要としてしまうから、多くの場合は解決できないことになる。

自我の外にある、根拠や理由で説明のつかない何者かを認められるボディにしておかなければ・・ 後からの修正が大変に困難を極める。


これはつまり人間の成長と関係しているわけで・・ それを成人-青年の境に配置して捉えるのが、エリック・エリクソン的アイデンティティであろう。
本来ならば、成長というものにどっかで線引きすること自体がナンセンス--“死に向かってずっと成長している”と捉えるべきだろう--なんだが、社会と契約を結ぶラインが多くの国家で成人や選挙権と合致してくるわけなので、現実的には妥当な判断だということになろう。

誰の解説本だったか忘れてしまったが・・ 「知能の発達し続けている現代において、アイデンティティの確立は一層困難になってきている」というものがあった。

ここまでの55妄想は、この専門家の解説を逸れていない。
そして、この話しは“自律-他律”や“自我-他我”的発想に収まりきらない。

ポイントは、人間の精神構造(人間の存在の構造)にあるからだ。
一般的に言う道徳や海外の宗教など、自主規制や他人の目という律し方は、まだまだ自己が判断する知識の中(つまり自我の中)に収まっている可能性がある。知識は遠い過去から積み上げ続け・・ どんどん拡大していく。それは55政党で言うところの... 自我の拡大に等しい。世界を理詰めで捉えていくことが知識の拡大なわけだが・・ 理詰めで成り立っているわけじゃない世界をどんどん理詰めに焼きなおして行ってしまっているのだから、それは正しい道とは言いきれないわけだ。
ただし、そうであっても、自我世界の外の世界が自分の中に確かに存在していることを認識している限り、それは心配がいらない。

そここそがポイントだということになる。


ややこしい話しのように感じる人もいるかもしれないが・・・
要は自分の存在自体や自分の行動の多くに説明(理由・根拠)がつかないくせに・・ 何でこの世は説明がつくのか? ....ありえないだろう!?ってだけの話しだ。

そして今日の話しは、理由や根拠など思考(知識)と自我-超自我さらには発達を結びつけた話しになっている。

果たして、「自分が働く理由は金だけじゃない。」なのに、他人のことは「しょせんは金のために働いているんだろうが!」などと決めつけているようなユーシューな方々に届いているだろうか....。
自分がそうではないように... 他人もまたそうではない。
・・・これで初めてニュートラルな姿勢だ。

「本能だから」 ・・・それで納得できるか?

そんな話しだ。



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