7年経ちました

55政党というブログからの

真に大切なことは法律の外にある 

政治が扱える範囲など本来は非常に限られている。
ところが、近頃は『法律を犯さなければなにしてもいい』的発想をする立派な大人たちが増えている。

法律つまり政治とは、人間性を試される場所ではない。
それは人と人つまりコミュニケーションを円滑に、そしてなるべく円満に運ばせるための手続きを決めているに過ぎない。真に大切な部分とは、政治の外にあるんだ。

なので当然、それを法規定などできない。
それぞれの人が、大切に思ったり・・ リレーしていくことでそれらは守られる。

そしてその部分こそが人間を試される部分なのであり、民度というものであろう。


私の言ってることは当たり前なんだろうか...。
であれば、差別だの文化だの愛国心だの友愛だの政治が言ってることと話しが合わない。

社会システムは法律と道徳・慣習の2段階があり、法律で規定できるのは法律(つまり政治)のみ。
逆に、文化や道徳が廃れてきているとすれば、それは現在の大人たち自身が望んでなった姿だと認識しなければならない。そしてそれを政治家がどうこう言うのではなく、まずは自分の子供や周囲にしっかりと実践すべきであろう。それをせずに政治の場で訴えているようでは、どんな立派なことを述べていようと、民主政治を理解できていないということになろう。(リアル政治の世界とは別。あくまでも法律部分を動かすための現実的な手段として活用している分には問題ない。)


私たち一般大衆は、法律で規定すべき部分と、そうでない部分をしっかり別けて考えていかなければならない。
そしてコミュニケーションについても著しく劣っている部分がある。
コミュニケーションとは常に双方向通信であり、片方だけが悪いなどということはほとんどあり得ない。
発信する側と受信する側が存在し、なお且つ双方が線で結ばれているとして... いくら発信側が信号を出したくても、受信側が受信ボタンを押さない限り、そこには何も流れない。そして受信側がそれを受け取ったとして... 法律が規定するのはその線についてであり、線自体は双方共有の線であると捉えるよりないわけだ。
それに対し、発信側の言い分や受信側の言い分とは、それぞれの背後に結ばるまた別の線の話しになる。

もうちょっと分かりやすく言えば、イジメで片方だけが悪いということなどほとんどあり得ない。
同じ仕打ちを受けて、それをイジメと認識しなければそれはイジメではなく、認識すればイジメになる。果たしてそのメカニズムに法律が介入できるだろうか?
そしてそれが子供である場合、そんな状況を打開することそれ自体が基本的に人格形成の場であろう。それはいじめてる側にとっても同じことだ。
これらは当然例外のケースもある。ただ、基本線から間違っているものはどうにかしておかなければならない。

さらに、ではイジメというもの自体を傷害罪等規定出来るようにしたとしよう... それでも未成年には参政権がない以上、未成年同士を法で裁くことはできない。あえて裁くのであれば親が対象となり、じゃあ子供のいじめ問題で親が裁かれるのか?って話しになる。
法で護られてるどころか... 法に縛られてる哀れな国民って話しだ。


社会全体から、認識されていないような種類の迫害を全て自身で受け入れてきた結果にアブノーマルになってしまったとして.. そのアブノーマルが引き起こしたことが当人だけの責任だとは言い切れない。但し、成人である以上等しく社会的責任を負うし、そこで線引きするしかない。その線引きを決めるのが政治(つまり法律)であり、つまり本来は絶対的な線でもなんでもない。だからこそ皆で話し合ってきめるしかないんだ。※自身が自覚しないうちに人を傷つけていることなどいくらでもある。それがコミュニケーションだ。それをその場でわめけば善悪が確定し、当人が何とか吸収すれば、善悪の存在すらないことになる。喚き得は公正なルールか?


コミュニケーションにおいて、片方を善、片方を悪と決め付ける姿勢... これは政治で扱う姿勢ではなく、既に法廷闘争に入っているような姿勢であると捉えなければならない。
そうではなく、真剣に正義のために戦っているとすれば・・ 周囲の人は当人の大きな勘違いをなるべく早く治してあげないとならない。※リピートだが・・ コミュニケーションに片方だけの責任などほぼあり得ない。




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