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子供の権利 

先日の『イズ・エー』は、いろいろ映画の意見を見ていると、少年犯罪が法律に守られていることなど「たった4年で更正できるか?」により食いついた内容が多かった。

イズ・エーの主人公は、あれはアブノーマルだ。
たったの4年でも十分に直る方法はある。
しかし、4年で直らない場合.... それはきっと一生直らない可能性がある。

何が深刻か・・・
それは一生どうにもしようもないアブノーマルを作り上げてしまうことなんだ。
人なんて大小差がある。その差の中でこそ生きがいは見つかるものだ。
しかし、アブノーマルはダメだよ。ダメでしょう?!
子供の教育や政治についていろいろ語られているが・・ そここそが何より優先されなければならないでしょう?!
映画の主人公だって、私に言わせれば、当人の責任など一切ない。当人がそうなりたくてなったんじゃないんだ。当人だって苦しいんだ。

では何故、それ以外ばかりが語られる?
こんな分かりきったこと... そのような大人たちとはホントにどうしようもない人間だ。そんな人らこそ生きていてはどうしようもない。

久々にエリク・エリクソンを紹介しよう。
エリク・H・エリクソン

「犯行時は心神喪失~」とか、プロファイリングだとか、そんなくだらないことをやってないで、真の心理学は社会に貢献しなければならない。


生まれる時期も、親も、場所も、社会も、国も、その他環境も、経験も・・ 子供は全て自分で選べない。それで何故... 当人に責任が及ぶ?そのような発想を持った大人はどうしようもない。
但し、それは子供を責めるな!と言っているんではない。半殺しにしてでも強制させなければならない。ここでいう責任とは、社会政治的責任のことだ。

今日ここでイラっとしているのは、『子供の権利』なるものが拡大していることを発見したからだ。
例えば広島市。
子ども条例 年度内目指す---中国新聞

【安心して生きる権利】
虐待、体罰、いじめ等や犯罪などから心や身体が守られること

【自分らしく生きる権利】
個性や他人との違いを認められ、一人の人間として尊重されること

【豊かに育つ権利】
地域社会及び自然環境とのかかわりの中で成長していくこと

【参加する権利】
意見を表明する機会が与えられること

・・・とある。
まず何より深刻なのは、このようなことを法律(条例)で規定しなければならないということだ。
その上で中身だが、
【安心して生きる権利】とは、つまり子供に犯罪者を作ろう!という意味だ。そのことを分かっていっているのか?
【自分らしく生きる権利】とは、自己が自己の中に確立された人間が関係することだ。人との差をからかい、そして非難されながら・・ 初めて自己と他人の差を自己に着地させることが出来るわけで、そうではない段階からこのように保護されていったいどこに「自分らしく」が実現できるというのか?
【豊かに育つ権利】は、これが何でわざわざ条例で規定されなければならないのか理解できない。別の意図があるのなら、もうちょっとストレートに言ってもらわなければ。
【参加する権利】だが、子供の時分に大事なのは、その様な場があろうとなかろうと、それを突破するチカラだ。大事なことを軽視して、大事じゃないことを重視している。マルッキリだ。

もちろん、このような私の意見は、そうであってもそれで一層大きい傷を負ってしまう子供をケアできない。しかし、政治がわざわざ全体をアブノーマルに育てていこうとすることが認められていいハズもない。
いろいろな場面で苦戦する子供当人は、どうであろうとその様な自分で生きていくしかないんだ。そういう自分が自分なわけで、そうでなければ一生保護された環境で生きていかなければならないことになる。
現実的なのは、そんな自分がそんな自分なりに活路を見出していくことにある。
それでも辛い場面はある。しかし、そこを支える存在は無いのか?(多くの場合はあるハズだ。無い場合はケアしなければならない。制度・法律で。)


介入すべきは、常に親や社会にある。子供の世界への介入は、まずそこを間違っている。
そしてこの様な子供の権利方面は、共産党なんかがチカラを入れているようだが・・・ 教育利権に預かっている多くが、今の問題の多くを引き起こしているという自覚が無いことが問題だ。
ここは民主やそれを露骨に味方するメディア(朝日や毎日)の側が直さなければならない。
責任が明確でないからと放置するようでは・・ 大人としてこの世に生きていてはいけないくらい深刻だろう。

大切なのは、フェアな競争を煽ること(公教育のみでいく)であって、フェアでない競争(塾や私立)を黙認することではない。
先約束の教育制度(入試重視)ではなく、後保証の教育(卒業or修了の質を担保)にしなければならない。

子供の平等や自由など... それは教育どころか、洗脳だよ。



話しを戻そう。
私の主張は、親と子の関係が治外法権なのを黙認している。
子供の権利条約がそこをケアしたいというならば、介入したい心情は分かる。但し、介入すべきは大人にあることは変わらない。
もしそこをケアしたいのならば、もっとストレートに言わなければならない。(※それが本線だとは解釈できないが。)
つまりはDVの話しだ。DVはDVの連鎖を生みやすい。これは何としても食い止めたいところだが・・ ここはシロウトが検討するには深すぎる。


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