7年経ちました

55政党というブログからの

「働きたいのに働けない!」と、あたかも働きたい人は皆働けるのが当たり前かのような主張が横行している。
ではそれを言うなら「働きたくないけど、働かざるを得ない。」はどうなるのだろう...。

進学についても、「意欲のある若者が進学できない」などと、とんでもない偏った発想をフツーに評論家がしゃべっている場面がある。
現実は、最低でも高校まで出してやるのが親の義務だ。それは当人に意欲があろうとなかろうと同じこと。逆に、意欲があろうとなかろうと、何が何でも子供をそこまでは送り出してやるべきだ。
ホントに意欲が大事だというなら、古本の参考書で独学して・・ 東大クラスの頭脳で一橋くらいには入れるだろう。


ここで言いたい基本的なこととは・・ 意欲があるのなら、当人は成し遂げているということ。
意欲とは先にあるもんじゃない、結果的に認められるものだ。
「意欲があったから、○○大学に合格できた。」
「意欲があったから、そのような仕事に従事できた。」
・・・意欲とは、そのように使う概念だ。

仕事について、そんなに意欲があるというのなら・・ 「じゃあ、介護施設で働いてくれ!」と言いたい。(これは「意欲があるのに・・」と言っている意見への対なんであって、仕事が無いなら選り好みするな!論とは違うんだ。そうじゃなきゃ、仕事を選り好みして社会に要求していい権利を主張していることになる。)
介護の仕事は、基本線として資格がなきゃできない仕事ではない。その辺を言い訳にして従事しない人もいるが、例えば大田区あたりなんかでは、無資格未経験男子でも十分に就業機会はある。
こっち方面での深刻は、正直日常のコミュニケーションでも難があるような・・ 単純労働だけに従事してきたおっちゃん達にある。この人らは・・ 正直介護の仕事を要望されても、利用者さんが受け付けてくれないから、当然雇うことは出来ない。

この人らは、確かに・・ 公共工事で何とかするしかないかもしれない現状はあるかもしれない。
とと.. 話しが流れた。
介護や看護なんかの仕事でよく言われるのが、外国人労働者・スキル・資格方面。ところが、一番のネックとは働き方にある。“埋もれている労働力の活用”といっても、それを活用したら若手正職員たちはきっと夜勤ばかりになってしまうし、年末年始なども被ることになるだろう。
この視点でいう“意欲”とは、労働形態に合わせるよう努めることが該当してくる。
「いや、日常生活こそ重要なんで、仕事を生活に合わせたいんだ。」 ・・・分かるし、それが今どきの発想でもあるんだが、それでは働く意欲とは一体何のことだ?という話しになってしまう。
周囲との調整をし、出来る範囲で改善を試みるからこそ、“意欲”的なものは認められるんであって・・ 「そこまでして働こうとは思わない」な人に何の意欲もクソもないのである。

一定時間に労働力を提供できていれば、確かに役には立ってるんじゃないのか?という疑問がある人はいるだろうか... 確かにそんなタイプの仕事も存在するだろう。しかし少なくとも看護や介護は、業務の提供ではない。役割を担うことだ。そんな人らをハナっから“お手伝いさん”かなんかだと思えば確かに手間は助かる。しかし、自分が勤務している時間の責任を被る仕事でもあるので、そんなならむしろいない方がいいという思いの人も少なくない。

雇用を効率化で賄おうとする発想は、結局、パートや派遣を生み出した発想と何ら変わらない。雇用とはライフスタイルそのものを問うべきだ。
例えば、変則シフトな仕事の場合、週休3日で割に合うよう標準報酬を改善するとか... そうすれば、ワークライフバランスも何も、あとは個人で勝手に何とかしてもらえるだろう。


オイシい話しを探して回っているだけだったり、言い訳が用意されていれば簡単に断念するような世界で政治を語られると、本当に必要な部分に必要なことが回らない。
第一、それを政治に要求をする時点で、意欲があるとは言えないだろう。


 
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