7年経ちました

55政党というブログからの

世襲の話題は自分らが日和ってるだけ 

世襲制限の話しは引き続き盛り上がっている。中川秀直さんのブログでは、行政改革に世襲制限や国会議員の定数削減が必要だと言う。
(何を競うか)09年の総選挙で競われるべきは霞が関改革の本気度

“本気度”という時点で終わっている。
今回の記事で秀直さんはもうキッパリ諦めるが・・
行革に世襲?その繋がりがまったく見えないので、再度違う視点を模索して調べているが、見当たらない。
ただその中に世襲批判を丁寧に取り扱ってるブログを見つけた。TVタックルによく出てくる山本一太さんのブログだ。
世襲候補の立候補制限はなぜ必要か?:その3

これは既に“その3”となっているが、まだまだ続けるそうだから注目していきたいのだが・・
現状で丁寧に説明している内容とは、「世襲制限への批判」への批判であり、世襲を制限する必要がロクに説明されていない。

あえて言うなら、政治家がお家稼業かのように固定化されていくことぐらいだ。
では、ローカル権力者のジュニアなら構わないのか?
一太さんの意見の中で頷けるのは、これは政党の内規の話しなんだということ。
つまりそれはアピール合戦でしかないという意味になる。
バカバカしい.... 政治がそんなだから官僚にすべて任せるしかないのだろう。

民主は早々と世襲制限を打ち出している。
目的のために手段を選ばないことを平気でする民主党だから・・ そのようなヒヨった主張を平気ですることは理解できる。
私はこの「目的のために手段を選ばない人間性」は、何をしようにも問題があると考えている。あえて言うならば、そんな部分こそを“能力”として評価する。

民主の場合、それは政党の決定であり、各個人がそうであるとは限らないから一律NO!というわけではないが・・ 逆に言うと執行部の人間性(つまり能力)がそこに透けて見える。


ここからは少し視点をずらす。

私は、「能力がそれを決めるんじゃなく、環境が多くを決めている。」と頻繁に主張している。
つまりそれが、世襲議員が増えていることの説明にもなっている。

人間の能力など思っている以上に差などない。
そのイロイロな可能性を集約させていくチカラが環境にある。
親も、機会も、キッカケも、意欲も.... それはすべて環境だ。そのようにして積み上げてきた時間が、またその次の方向性を決めている。(能力が関係ないとは言ってない。影響が少ないと言っている。)
政治家のジュニアであれば、物心ついた時には既に政治家という選択肢が存在している。それを目指そうとして次に大事なのがコネクションだが・・ それもハナっからクリアしている。

機会を公平にしたいのであれば、するべきことは制限ではない。
このような現象の震源地は、選挙に強いことにある。政党が選挙に強い候補者をその環境のままで立候補させるのは当たり前に必然だ。
真に機会を公平にしたいのであれば、先日ここで主張したように・・ 
選挙運動を同じ方法(演説・テレビ・ホームページ・討論会等)に限定し、費用を国費(国政なら)から負担する制度にすべきだろう。

これで、●若い意欲のある人たち(とその人らは言う)に機会が与えられる ●カネもコネもカンバンも持っていない人が対等に戦える ことが実現される。簡単な話しだ。この意見に何一つ難しい部分などない。


自分らの選挙の心配や世論への迎合のために平気でこのように無意味な議論を繰り広げる人間性では、何をしようにもどうしようもない。


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