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『政治の理想について』・・・大川隆法 

GDP世界一を目指して構わないという宗教団体のことがやや気になり、本を買ってみた。

大川

昨日届いて読み始めたばかりなんで、まだ第三章の途中までだが・・ 大変に驚いたんで、書き始めてしまおう。
ちなみに私は幸福の科学とは何の関係もない。幸福実現党についても取り上げているんで、あまり触れると怪しい感じになってしまうが、知らな過ぎるから読んだ・・という部分もある。


まず驚いたのが、一見自由主義陣営の主張とあまり変わらないということ。文中にも「アダム・スミスやシュンペーター、ドラッカーらの個人的自由、起業の自由、自由経済による繁栄に軸足を置いている。」とある。
現に、出だしの多くは私の主張しているような内容と多くが一致する。
“「最終目的さえ達せられたら、途中の過程はどうでもよい」というような思想は、基本的に間違っている”・・・など、ドキっとする。わざわざ正しい手段を話しに上げている(=それ以外の論点より優先する価値がある)んだ。

つまりこれは宗教とは関係がない本だ。
宗教というのは治外法権であり、正しいと信じる価値観や道徳的規範をもっと広めたいという現実的手段として組織があるもので、本質的には各個人が勝手に信じたり、教義に従って生活を送ったりしててもいいものだ。
それはつまり、社会政治と同じ土俵で語られるものとは種類が違う。

そしてここまでのところ、記事に「今まで自民党を支持してきたが・・」とあるように、大川さんの政治主張は、麻生さん陣営的自民党の主張にかなり似ている。
これまで私は、そのような自民を“ニッポン大好き陣営”と呼んできたのだが・・ この大川さん論を読んで、むしろそんな自民の主張がそういう括りではないということに気付かされた。

私の支持する自由主義との大きな違いは、どうやら能力主義・実績主義にあるようだ。
この部分の否定はこのところ多く取り扱っているが・・ これは私的には“ユーシューな方々”との差異なんだと思っていた。
大川さん論を読んで分かったのは、麻生さん×安倍さん÷2の保守自民的自由主義との差異にむしろこの能力主義・実績主義が絡んでいるということだ。

それらの方々の意見もひっくるめ強く感じることは、企業等での組織労働というものを分かっていないということだ。
生まれながらに人の上に立つことを宿命付けられた方々や、学者さんや、そしてこの大川さんのような個人的能力の高い人々は、所詮個人での戦いの中にいるのであろう。

仕事というもののほとんどは、与えられたミッション(担うべき役割でもいい)を期間も予算も人員も制限を受けた上でなされていく。さらに、自身のミッションの遂行を優先すると他のミッションに支障をきたしたり、迷惑をかけることになる場合もざらだ。
つまりそもそも、多くの仕事は個人プレーではなく、チームプレーとなっている。その上での“能力”や“実績”というならば、それは既にチームリーダーを指している。
本来、ミッションを遂行する上で最適の期間があるし、メンバーがある。制限を受けた中で最善の結果を目指すことが評価されるべきか、最適の条件を整える動きの方を評価するのかは意見が分かれる。そしてさらに、そのチームのモチベーションや動きの質を握っているものは、そもそも与えられたミッション自体にある割合は高い。つまり、与えられたミッションを遂行するにも・・ そもそもそのミッションでは限りがあるというケースも多いということだ。ではその場合、やはりミッションを遂行すること自体が評価の対象となるなら、おそらく真っ当とは言えないような作戦を練ってチームメンバーを動かしていくことになるだろう。ところが、それがリーダーのためだけだったりする場合、果たしてホントにそれを能力と呼ぶだろうか...。つまり、そんなミッションを却下してくることもひとつの能力と呼べる可能性がある。実績主義・能力主義制にすると、そんなでは点数が付かないだろうけど...。

そして次に、そんなチームの一員である場合を考えると、自身の働きっぷりの多くは、実は自分のチカラ以外が握っていると分かるわけだ。
無能だから・・ といって人を入れ替えるわけにもいかない。であればそれでも何とか「生かして」使うか、それとも「殺して」効率UPを狙うかはリーダー次第だが、そんな無能な部下でも、「生かされた」場合には担った役割が発生する。それによって少しだけスキルUPした可能性が高い。そしてそんな無能な部下は、今後も社内にいるんだ。ということは、そのミッション自体には「殺した」方が効率は上がったかもしれなくても、会社のスキルは上がった可能性が高いことになる。
さらに、そんな能力のまちまちなメンバーで常に闘っていくことを考えるとき、メンバー同士もそのような中での連携を学んでいかなければならない。第一必要とされる能力が一律に備わっているチームなど妄想でしかありえない。

大川さんのこっち方面の話しは、「公務員は削減する前に、業務効率を上げるべき」というのがある。
公務員は、急いで対応してあげれば・・ それが万に一つのミスの原因にされてしまう。遅きゃあ遅いで、市民に文句を言われる。臨機応変に対応すれば、不平等になる。そもそも多くのことが法律にがんじがらめになっているし、それどころかそれぞれの法律も微妙に解釈や判断が必要なもので、それが時と場合・情勢・世論によって解釈が変わるものだったりする。そこを独断でやった日には「○○課の△△さんにそれでOKをもらった」と言われ、お墨付きを与えたことになる。
そして自分たちの評価も、上司の評価も、ミスをしないことが大事であるし、そのような組織は上から下ってくる判断に逆らえるシステムでもない。
それに新卒で公務員Ⅱ種Ⅲ種を狙って入ってくる以上、そんな人らはハナっから安定を求めている。

結局・・ なるべく業務をしないにこしたことはないことになる。
それに対し、「もっと効率を上げさすベキ」では... もう生き地獄だろう。
国家との繋がりを切って、希望が見える状態にしてあげるほうが優しさと呼べる可能性がある。


そもそも自由主義と能力主義は相反する。
ここでも、方や「誰でもが政治家になれるように」、方や「能力のある人が政治家になれるように」  ・・とあり、既に矛盾する。(能力をどう測るというのか自体微妙で、そのように定められた基準での能力がない人が政治家になるべきではないことになる。それでは誰でもが・・・とは言えない。)
これが矛盾しないと言い張るならば、「能力がある人が政治家になる」んではなく、「政治家になって能力が試される」でなければならない。

また、「裁判員制度はプロ失格の制度」だとしているが、自由主義でいえばそもそもプロに任せること自体が妥協案だ。
もちろん、プロに任せてきたものが無理になりつつあるのはある意味確かにプロ失格だ。しかし、国民の自由や政治意識のレベルが上がれば、プロに任せておくことは限界があり、むしろそれは民主主義的には望ましい社会になってきた可能性が高い。

大川さんは宗教家だから、絶対的な価値観をベースに正しい答えをはじき出す思考法であるのは致し方ない。
しかし、旧来自民党的発想もやはり、そのような絶対的価値観をベースにした発想法を感じる。
そもそも理論とは、ゴールを目指す性質があり、余分な仮定を排除して進めざるを得ない。だが現実とは、個々個別の要素がそれぞれ独立して存在することなどあり得ない。むしろほっとんどのことが繋がっている。

つまり、「A案とB案のどちらが正しいか・・」という発想よりも、「A案だったらどうなる、B案だったらどうなる」という相対的な発想が重要であるハズだ。
少なくと政治においては、たったの今は、今ある法律やルールで現状が運営されているということをよく考えなければならない。つまり、新たな法律や制度とは今からわざわざ変えるということだ。「新たなA案が素晴らしいかどうか」よりも、「今とどう変わって、そして変えるべきかどうか」を問わなければならない。

そして自由主義とは、皆で目指すべきゴールなどないということ。それぞれがそれぞれに思う中で、皆でよく議論して決めよう・・ というのが自由主義だ。


今日までの部分での最後は農業について。
現状の日本は、カロリーベースで自給率40%、穀物自給率は28%。
世界危機などの際には日本は飢え死する。
・・・ここまでは至ってフツーに語られる。

しかし私は、官僚さんらが描いているものはまるで違うものだと妄想している。
その内容は、“世界の需給や価格変動によって、国産が割に合うようになってくれば・・ その時再開したらいい。”だ。
現実問題、そのような危機はすぐには起きない。もし起きるとしてもある程度は予測できる。
その上で、国内のコメの備蓄は確か国民全員が餓死しない程度なら丸1年以上行き渡るほどあるハズだ。さらに、日本ではそんな危機の前にある程度は買い増せる。
そして何より重要なこと・・・ それは、日本の場合はそうなってから作物を作っても間に合うということだ。
遺伝子組換え食物に安易に頼るようなら世界中がカーギルの独占になってしまうが、そんな方法に頼らなくても、日本では目の前に種植えりゃあどこにだってイモがなる。

このような発想で現状を考える場合、①適度に農地が確保され ②ノウハウがリレーされてさえいればいいことになる。
これなら、現状の「どーしょもない」と言われている農業政策はアリになる。
現状は、国際分業で効率的に配分されていればいい話しになる。
そしてもちろん、専業農家でなきゃいけない理由なんてどこにもない。

農業強化の根底に流れている発想とは、グリーンニューディールのように「新たに何かしら資本が流せる産業が欲しい」ことにある。農業自体を真剣に考えるならば、私の妄想の方がよっぽど理に叶っているだろう。
何かしら産業が欲しい。地方を活性化したい。 ・・・んだから農業を!
という発想だと、間違いを犯しやすい。

担い手がいない!と言ったって・・・ 生産調整するしかないものだっていっぱいあるんだよ。
つまり、作ったって売れないじゃないか。


まあ大川さんは、宗教の教祖(?よくわからん)だ。
そしてこの本は、政治について語っており、前述のように政治と宗教は関係がない。(特に日本は。)
そして幸福実現党は、旧来の自民党の主張とあまり変わらないことが分かった。(ここまでの章は。)
後は追って。


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