7年経ちました

55政党というブログからの

サービスの質 

今日の昼は、ある外食チェーン店に行ったんだが...
日頃から私はチェーン店のサービスに疑問を感じることがよくある。

ウェイトレスのおばちゃんにメインとサラダを注文し、鞄から雑誌を取りだして読もうとしたら「お待たせしました~!!○○サラダで御座いますぅー」と、元気いっぱいに速攻で来た。今私が注文したおばちゃんが持ってきた。
心の中で「いや、待ってないけど...」と思いつつ別にどうでもいいことなんで、まあ普通に食べ、そしてしばらくしてメインの料理も来て美味しく頂いた。
んで、今度は会計の時。
おつりもらって「ごちそうさま~」って帰ろうとしたら、その反応がない。
いや、それで振り向いて扉の前にきたら「ありがとう御座いました~!!」と元気な声で背中にあいさつをもらった。
さすがにこれは納得いかない...。
人が「ごちそうさま」っつってるのにそこに何の反応もないんだ。それでむしろ店員に向かって言ってるかのような大きな「ありがとう御座いました」だ。


これは方法論の話し。
一律のサービスを提供することで皆にもれなく心地よい(と思い込んでいる)サービスを提供し、一定水準を保つこのような手法は、確かに程度にばらつきがあるパートのおばちゃんやバイトのにいちゃんでも実現が可能だし、トラブルやミスを防ぐ段取りも含まれているに違いない。
そして全国チェーンだと、恐らくたった一か所での何かしらのミスが全国に影響してしまう。んだから一定水準の維持こそがリスクマネジメント的観点から見ても望ましいんだろう... しかし、ところが、それではサービスとは言えない。サービスとしてはむしろ失格だ。

しかし、不思議なのは店員だ。
サラダを持ってきたおばちゃんは、当人が注文取ったんだから私が全然待ってないことぐらい分かるだろう。そしてレジの社員さんみたいな男の人も、サービス業の人間がお客さんの「ごちそうさま~」を無視していいのか?(この“一拍の間”は無視に値する。)


制度の導入や、一律の作戦、上層部による決定というのは、このようにスタートラインでしかない。
△△が問題だから、こんな制度にしましょう。
その制度が今いち効果が出ていないからこんな制度を取り入れてみましょう。
・・・このような手法は、確かに皆がそれを忠実に守ってこそデータがとれるものだし、つまり評価が可能になるものだ。しかし、忠実に守らせることに無理がある制度の場合、守らせると現場がオカシなことになるし、だからといって守らせなければその制度の本当の効果は測れない。

この話しは、今どきの一見合理的な発想によくみられる現象を表している。
一律ルールというのは基本的に“妥協案”だと感じるわけだ。
つまり強制されない制度(つまり秩序や道徳、慣習)の中にあって、各現場の個人も意義を感じられる(本質的である)状況であることを目指していく方法のほうが、基本的には発展型であると主張したいわけだ。

これは難しいだろうか...
長い歴史の中で、社会秩序は明らかに進化してきていると言っていい。
私たち個々は、どの時代にあっても常に1回きりの人生でしかないにも拘らず。(まあ、寿命は延びて行ってるけど。)

法遵守、マニフェスト選挙、リスクマネジメントなど... これらの手法と、それと対になる世論や社会セクションという構造は、決して望ましいカタチとは言えない。


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