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こどもの人権宣言---55政党版 

こどもに人権などない ---55政党

近頃の教育方面のニュースは完全にイカレている。
そこで、55政党では度々主張している内容を再度取り上げてみた。


こどもは自身の手で当該政府へ法律に則った働きかけを行えるようになって初めて人権が付与される。(=選挙権を得て初めて与えられる。)それまでの間は、親と社会の所有物であり、人格のみが与えられている。
こども自身は、生まれるタイミングも場所も親も... 当然経済力も何も選べない。そして大人たちは、そのようなものが子供の人生に影響を与えることを知っている。だがしかし、その環境が望ましくないと思われたとしても、それが子供にとって一概に不幸であるかどうかは微妙なところだ。例えば、経済的に裕福な家庭に育ったこどものほうがアブノーマルに育つ確率が高い事を私たちは薄々気づいている。
その内容がどうであれ皆それぞれに差があるわけで、その“差”を認めなければ、それぞれが当人である必要がない。「いっそ名前など付けないで番号制にしよう」と言っているのと大して変わらないという話しだ。
そして、法律でわざわざこどもを保護するということは、私たちは法律がなきゃ子供を守らない大人たちだということになる。それでは動物園で生まれ育って、子育て放棄をしてしまった動物と変わらない。
恐らく、こどもの人権を強く主張するような方々は、知識が発達しすぎて生き物であることが分からなくなってしまっているのだろう。

人間は、それぞれがどう思おうが・・ 生まれてくれば肛門を意識するようにできているし、口を意識するようにできている。肌の表層が保護されているべきところには毛が生える。しかも生殖器などは、その役目を果たせるようになるにつれて毛が生えてくる。
成長していくものであるということを認めないわけには行かないし、どの程度の成長を以って一人前と判断するかどうかは当該政府の取り決めに懸かっている。
つまり、それまでの過程及び環境とは、成長するためのものであり、そこへの政治的介入はどれだけ深刻な影響を及ぼす可能性を秘めているのか計り知れない。
私はエリック・エリクソンを重視している。肉体と精神と社会性はそれぞれが関係し合いながら成長しており、55政党では特に、精神的な成長は葛藤のあとに自動的に訪れる現象であるとしている。それはつまり、葛藤を回避することもまた深刻に捉えているという話しになる。

もし仮に、そのようなこどもの人権を強く主張している内容が論理的に優れているとしても・・・ 私の主張は今までの方法から何か変えるものではないが、そのような方々の主張は、今までの方法から何かを変えようとしていることであり、つまりその行動が及ぼす影響を全面的に引き受けるということになる。


現実を見ろ。こどもの意思や希望に任せるか?
それこそ自らアブノーマルを推奨しているということじゃないか。


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