7年経ちました

55政党というブログからの

行政の意義 

私はひと月ほど前、千葉県某所でネズミ捕りに引っかかり、スピード違反を取られた。
そして先日は、『運転中携帯画面を見ていた』で捕まった。

どっちも事実ではあるんでしょうがないんだが・・
スピード違反のときは明らかに遅くてむしろ危険な車が2台いて、ずっとその後ろを走っていたんだが、その道はまもなく片側2車線になる。なった直後は左車線に路上駐車がいたんで、その先の安全なゾーンに入ってから左から追い抜こうとしたら、そののろい車がやや速度を上げてきた。結局追い抜いたんだが・・ その先にスピードを図るワンボックスが止まっていたようだ。

そして携帯のほうは、携帯を上着の右ポケットから助手席に置いてあるかばんに突っ込むために取り出した際に画面が開いている状態で、そこを目視されている。
その日は夜まで車に乗っていて、コンビニを出るときに、入ろうとして反対車線で待っている車がいたんだが・・ こいつが思いっきり携帯で話しながら待っている。かなりリロリロと携帯が光っている。
んで、入ってこれるタイミングで入ってこず.... んだからこっちが先に出ちゃおうとしたらそのタイミングで突っ込んできた。その運転席の表情はそれでも話しが盛り上がっているようだ。


繰り返すが、違反は違反でしょうがない。
ただ... 安全な場所やタイミングは私が計っている。それで違反を取られるのはそもそも迷惑な話しだ。ほっといてくれ!と思う。

しかも、スピードで捕まった道路は、それほど交通量がないわりに片側2車線で、横断歩道が無く、そして中央分離帯の切れ目で転回してくる車がある。見通しは良く、一番危険な行為は無理に渡ってくる歩行者が見えない路上駐車と、そして転回しようと顔を出してくる車をよけるためにやや左に車を寄せたら左車線が狭まるんで路上駐車が危ない。

法律上では危ない行為者ということになるんだろうが・・・ 正直余計なお世話だ。
その場面では路駐のほうが危ない。それで私は捕まる。普段なら50キロくらいで走っているところをそんな理由で63キロになったから捕まる。


方や世の中には、ホントに危険な運転の人間がいる。
ホントに必要なところに行政が何も出来ないのならば、行政のある意味が無い。
警察など特に、問題のある人間のほうが難を逃れるケースが多いハズだ。

果たしてホントにそれは必要か?


今日はモジックスさんで面白い記事を発見した。
信号や標識を撤去すると、逆に安全になる?ハンス・モンデルマンの「Shared Space(共有空間)」


これはまんざらでもない。十分にありえる話しだ。
但し、交通法規(機)はむしろ効率よく運行できるために存在していると捉えるベキなので、これは法治や秩序を考える上で大変に重要な視点だと思う。


ルールを守ることで秩序を形成することも可能だろうが・・・ その方向は最終的に、そもそもの目的を無意味化してしまう。(車の場合、それを使うことが面倒になる。)
ルールとは結局、私たち自身も進んで従うものに良い効果があるのであり、この部分こそ私が最初にハイエク(マンデビルさんヒュームさんだったか...)で学んだ内容だ。


この話しと、以前の『本当に救いの手を必要としている人に届かない』を含めて、もっと検討していくべきだ。



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コメント

来年はヒューム生誕300周年にあたるが、そろそろこの哲学の真の拡張の時ではないだろうか? それは、
「観念は、連合もあれば分断もある」

「観念は、類似・近接・因果の法則で連合する一方、相違・遠隔・意外の法則で分断する」という命題は至極当たり前な事実である。そして英米系哲学を相対化し、民主主義も自由主義も実験科学も相対化し得る。
http://blogs.yahoo.co.jp/k_kibino/60972328.html

キビノ #qbIq4rIg | URL | 2010/04/03 14:00 * edit *

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