7年経ちました

55政党というブログからの

“効率的”に価値などない 

“効率的”という物差しが大変に万能であるかのように勘違いしている今どきのユーシュー風な方々の発想は未だに幅を利かせている。

効率的というのは、確かに人によって若干のジャッジの優劣はあれ、基本的にどんな人でも常時行っているものであり「こうやったほうが効率的だ!」というような指摘の多くは、まったくハタ迷惑なものだ。
人は基本的に、その時・その場・その人にとって効率的な選択を常に行っている。
効率的とは経済的ということに近く、これは生きてることと大して変わらない。つまり、大概どんな人も、生きていれば経済的な選択をしている。

効率的と生産性を混同しているとするならば、生産性とはその組織全体が生み出す生産物でジャッジされるもので・・ それは場面場面・各セクションの効率性とほとんど関係がない。
いうなれば『効率的』というのは個人的なもので、『生産性』というのは組織的なものであり、多くの企業(事業)活動は組織的な活動であろう。

「要領が悪い」程度の話しであれば、程度の差こそあれ、その人なりにいずれは改善されていく。一向に改善の兆しが見えない場合、それは恐らく“その人なりの効率的”が何らかの理由でシャットダウン状態になっているからであり、その状態である限り効率性の改善は得られない。(「判断基準が自分の外にある」「そこまで求められるほどのサラリーをもらっていない」「違う人からは違う指摘を受けている」ほか、いくらでも考えられる。)
つまり、効率性を改善するには効率性の追求以外に原因があるということ。


個人のスキルがどんどん重視されていっている現在、組織としてのカガク軽視やコミュニケーションスキルの低下は深刻なスキルダウンに繋がっていくだろう。(個人のスキル重視でも構わない。但し、その場合重要なのはそれ以外にあるということ。)



【付随する別の視点を追加した】

人間の能力として発達してきたものは、合理性的な発想方法で、これはひとえにどれだけ先を見越せるか?という能力を指す。
人間の行動が常に合理的な選択や論理的思考を採用していることはまれであり、理論的に導き出した答えを採用する手法自体が、問題解決の可能性を大きく狭めてしまう可能性を含んでいる。(それは既に、方法の一種でしかないということ。)
物事を予測する方法は、現実がどうなっていくのかを(どのような方法であれ)積み上げていくほうが現実的な手段であり、現実の社会を考察していくような種類のものは、それこそが重要なものだ。

『論理的には可能』  ・・・社会科学において、それは『妄想』と同等程度の価値しかない。


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