7年経ちました

55政党というブログからの

昨日紹介した『選択』の日銀総裁話しにでてきた内容なんだが・・
日銀総裁は代々東大の法学部が務める場所であり、経済学部の白川さんが就いたのがそもそもの間違いというのがあった。もちろんこれは真剣な議論とは違う。但し、飲んでる席で出てきそうなこんな話題... あながち冗談とは言えない。
半分本気だろう。

今から主張する内容は日本の民主主義についてで、この話題から何を言いたいのかというと・・
それは、官僚さん達は誰に何を言われようと自分たちが一番正しいと確信しているということ。

日本で一番勉強ができる方々は、日本で一番知識を詰め込んでいる。
経験や体験から学ばなくとも、彼らはそれを知識でカバー出来る術があることを確信している。


経団連は政治と金の問題を真に受けて対応しているが・・ 本来政治と金の問題など大したことではない。
問題なのは、官僚秩序が壊れないことにあり、この話題は国民が踊らされていると捉えるのがニュートラルであろう。

また、政治か?官僚か?というタッチの議論も見受けられるが・・ 政治とはそれを語る私たち国民に懸っていることであり、政治批判とは国民批判と等しい。「政治に問題がある!」=「私たち国民に問題がある!」ということなんだ。

政治の足を国民が引っ張っていては... それは自ら自分の首を絞めているということであり、この国の基本はあくまでも国民VS官僚と捉えるべきであろう。
“VS”となる理由は、官僚さん達は自分らの描く国家が一番正しいと確信している部分にある。
正しい国家像を先に描くこと自体がこれからの日本の民主主義を歪めているのであり、つまり“VS”になる。

そもそも私たち一般大衆は、国家のことなど大して考えていない。それが現実だ。それを考えている風な方々はそれを職業としているからであり、人生のエッセンス程度に過ぎない。国家を真に憂い、国家のことを考えているのは間違いなく官僚さん達であるが.. それこそが官僚さん達の仕事であるからに過ぎない。

現在、社会保障以外のほとんどの事項は、国家をまたいで影響し合っている。
そして自由市民の活動の歴史が長くなっていくにつれ、多くの細かい分野にまで専門家が生まれている。
そして国家のことなど大して考えていないハズの私たちも、民主主義の経験と知識を深めてきている。
“正しい国家像”を描く時点で大きな勘違いなんだ。
小学校じゃああるまいし・・ 皆で○○していこう!と言って、ホントにそれをするか?
そして世界は、リスクを分散しているハズがリスクを拡げ... 地域で団結して強い通貨を作るハズが、そのうちの一部に問題があるだけで結局全体が危険なことになっている。
世界のユーシューな方々が雁首をそろえてやっていることがそれでは.. あまりにも情けない。


国家を束ねる者は、調整およびジャッジが主たる役割ということになろう。
縦割り行政や一律平等主義っぽい行政スタイルは、誰に何を言われようと分かっていてやっていると捉えなければならず、今現在の仕組みをなかなか変えることが出来ない素晴らしいメカニズムとして機能させている。
それに対しての私たち一般大衆は、見事に乗せられているんだ。
例えば、私たちは日常行政において、担当官によってジャッジが変わったり・・ 不平等に感じることを嫌う。それに対して末端にジャッジをさせず、書類ばっかり増やしていては.. 行政府と書類の専門家を増やすばかりなのはおろか、そもそも上層部判断など私たちに何のメリットももたらしていない。正しいジャッジを望むだけの者が、結局はその制度を意図的に活用しようとする人々にメリットを運んでいるようなものだ。
末端にジャッジをさせ、セカンドオピニオンでも調停の場でも設ければそれで済むことなんだ。

ここを突破するために何よりまず必要なことは、
①マスメディアの解放
②議論を尽くす姿勢を身につけること
にある。

この2点を突破しない限り、日本は何をやっても官僚支配から脱出することはできないであろう。


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