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部活の重要性 

このような話題はきっといくらでも上がっているのだろう...
しかし、私が日々疑問を感じるのは、能力主義とか効率的発想をする方々に、チームプレーというか、ポジションの分担の意識が欠落していることだ。
「じゃあ、全部あんたがやったら!?」とでも言いたくなるような、ユーシューな方々は明らかに増えてきている。

『部活』がそんな部分の手掛かりとなるかもしれない.. という発想で話しを始めてみたわけだ。

例えやや能力不足だとしても.. チームで活動するよりなく、そしてそいつにそこを任せるよりない場合... そいつなりの成長こそが、全体のレベルUPになる。
また、そのポジションで担うべき役割をカバーしきれなそうであれば、その役割の一部を周囲に分担して何とかするという方法もある。

そのようなチームでなくとも、例えば同じ企業に勤めているのであれば.. どうにもこうにも使えないヤツであるのなら、お茶くみでも忙しい人たちの世話でも.. 奴隷のようにこき使ってやるのが正しい道だ。
使えないヤツ当人が.. 『俺ってやっぱ能力がないんだ』などと自分ばっかり大切な自意識過剰なヤツであるならどうしようもないが、自分の能力が不足しているのを実感した上で、その組織にとって何かしら役に立ちたい(もしくは役に立たなきゃ首を切られる)という一人の人間としてちゃんと立ってる人間であれば・・ 奴隷だろうと何だろうと、使われることで生かされているわけなんだ。

その状態であるならば、組織にとって『居ないよりは居た方がいい』状態となり、人は生かされる。
ところが、今どきのユーシューな方々の中には、自身の正しいと信じる教科書のようなものを引き続き押し付けたり、「お前いらない」などという風に、抹殺してしまうケースがある。
「おい、ちょっと待ってくれ.. 抹殺するくらいならパシリでも何でも、手伝ってくれよ」と思う。


その“差”は、一体何なんだろう...。
そう思った時にまず浮かんだのが、この『チーム系部活』だ。
人の思考は、今どきさぞかし論理的で演繹的なように思われるが、しかし、発想の仕方や選択肢とは、実際は経験や習慣付けにより左右されているのが実体であろう。

組織というもの、チームプレー、共通の目標、成功体験、葛藤含む感覚の共有など.. これらを身をもって知っていることが、発想の仕方に影響しているんじゃなかろうか..。

銀行や省庁などでは、野球やラグビーやレガッタなんかがかつては好まれていたが.. これらはむしろ、役割分担の度が過ぎる。むしろ『秩序の中にある個人の頑張り』を強く意識しているように感じる。
サッカー、オーケストラ、バレー、バスケ等.. 前出のような感覚的なものを身につけられる機会が多いように思う。

まあ近頃の大人は、プロを目指してこその部活みたいな発想を子どもに押し付け、むしろ残念な結果を招いているが..。それは、落後者(ダメ人間の烙印)を増やす取り組みでしかない。

ちなみに、サッカーは、何もJリーグというまともなサラリーを得られるプロが誕生したから流行ったのではない。
多くのサッカー好きは皆知っている。サッカーの流行は『キャプテン翼』のおかげだ。
間違っても、職業に出来るからではない。

また、キャリアプランを強く意識するような高校サッカーであっては、どうしようもない。
高校サッカーは、静岡学園や野洲のような“イケてる”軍団のような存在が素晴らしい。
かつての帝京のような.. 『勝てる世代に的を絞って強化し、ほかの世代を犠牲にする』ような、商業ベースなものは大変にさもしい。

オーケストラだってきっと.. 大会で勝てるものが必ずしも素晴らしいとは限らないだろう。

常勝軍団がしばしば官僚的な状態となって、本来の目的を逸脱していくように.. そのこと自体(取り組んでる対象)から目的が移っていく時点で、衰退は始っている。


おっと、話しが逸れていくが..
コミュニケーションが希薄となり、個人の勝手型個人主義が蔓延し、勘違いの平等という.. とんでもない(へどが出る)悪趣味な発想が幅を利かせている現在には、チームプレー型の部活の繁栄が重要な気がする。

大英帝国は未だに、ユニオンジャックな国々で集まってスポーツ大会をしている。
それは、帝国の集結やコネクションの機会だけではないハズだ.. きっと。



ちょっと追加する。東大は、しばしば素晴らしい研究成果を発表する。数年来で、私のような一般大衆の耳に入るような研究成果は、やっぱり東大・京大が多いだろう。
しかし、だからといって.. それが東大・京大の質を保証するものではサラサラない。こんなことは優秀な方々なら中学の頃にとうに理解しているであろうことだ。
『東大・京大は、素晴らしい研究成果をしばしば発表する。(または頻度が高い。)』・・・ただそれだけのこと。それ以上でも以下でもない。

女だから劣ってるんじゃない、精神病だから危ないんじゃない、黒人だから凶暴なんじゃない... 但し、どれもそう思われてしまう要素はある。それはきっと当人ら自身にも理解し得る部分であろう。
ここで重要なのは、それをひとくくりにすることや、社会的に保護することにある。
差別されている(という)人らも、社会的に保護や優先されない範囲でも、人生を送っている。当人らは、差別を受けている(という)時間・場面でも、そのように生きている。
何が言いたいか.. それは、差別されていようがいまいが、そんな自分として生きてくよりないし、現に生きているということは間違いないんだ。

『当人が差別を主張する』・・これは、さびしい話し。
「私は、レッテルの通りです!」など言ってないで、そんな自分を認めてあげなきゃなんないだろう。

『そんな人らを他人が主張する』・・これは、悪趣味な話し。
正義感丸出しで自身の人生のエッセンスにしている。人は大小様々そんな生き方をする。だからそんな人らは扱う対象の趣味が悪いという話しだ。




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