7年経ちました

55政党というブログからの

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日出国は神の国!! 

藤沢数希さんというお名前は.. 確かに所々で拝見している。
そして金融日記というブログも.. 確かにちょくちょく見ている気はする。
今日は初めてその2つが繋がった。

これ.. 素晴らしい!
日本は今までずっと政治主導の民主主義国家だった


内容自体は、55政党で主張してきたものとまるで違う。
この視点で言えば、私は「日本は今までずっと行政主導の全体主義国家だった」に近い。
だがしかし.. 私が何よりも優先するのは、議論されている内容が、どことどこを結ぶ線についてなのか?.. なので、まさにストライクだ。この内容は『国民―国家』を結ぶ線。


この話しで重要なのは.. 政治に参加する国民が増えてきたということだろう。
55政党では、発想の根底に流れているような話し.. 『それを必要とする人がそれに関わる』つまりは、成長期を遡ると.. 政治のチカラを必要とする層は限られていた。自分らの一般社会において、そのような発想、そのような行動を取る奴ほど、イタいやつらだった。利権を誘導したい人、真っ当とは言えない(からこその)既得権益を守りたい人、それによって名を成したい人など... そのような方々の影響力が高かったわけだ。
現在は、政治を必要とする人々の割合自体が増えてきている。そのことで、かつての層の影響力が薄まってきている。


現況を鑑み、歴史を遡り、グーグルマップを見るとき... この国が世界有数の経済大国であることが、ホント不思議でならない。
それは20世紀に起こった奇跡のひとつとして挙げられるほどの出来事であろう。
現在日本がこのようにあることは、素直に誉められなければならない。

しかしそれはオールジャパン体制だった時代の話しで、個人の自由が拡大し、意思も目的もバッラバラになった現在には、とても使える代物じゃあない。
そして、弱者だとか差別だとかを声高に主張して支持層を作りだす政治と、それに群がる気マンマンの国民も増えてきている。そのこと自体が国家の生産性を下げている。産み出す層と吸い上げる層。それは国家がデッカいからこそ主張できる(ダイジョブだと思っている)部分がある。
各個人の自由が増してきているというのに.. 国家全体で新たな産業を興したり、価値観を統一させようとしたりすること自体に無理があるということも、『1+1』なみに明快な話しだ。
現在国家が全体で取り組んでいく価値を感じるものがあるとすれば.. それはルール(法律)以外のものであろう。


藤沢さんの記事... そこに付いて回っているコメントは、“右―左”的発想が多い。もしくは、自民VS民主。
そしてメディアで語られる論調も。

自由主義陣営の多くは、日本を官僚主導と捉えている。
だが、その議論に入ってこれない。

メディアも引き続き.. 自由主義的発想を遠ざけているのは事実だ。丁寧に丁寧に.. その意思を矮小化して表現している。
そして、そこをそのように過剰にケアするような芸当は... とてもじゃないが、政治家には出来ない。

産業界の多くは、自由主義陣営を支持することが多い。
そしてそのようなセクションを攻撃する層は、相手をあたかも大きな存在かのように言うが.. 実際問題、自由主義的主張は封印されている。但し、政治には大いに反映されている。
理由は簡単で.. ○○主義なのかは産業界は興味が無い。直面している戦いを戦っている場が政治だ。
相手が国外に及べばその意識は一層強くなる。世界と戦っている大企業は.. 日の丸を背負っているんだ。
そして、同じように日の丸を背負っているという意識が、官僚さん達にこそある。彼らは「日の丸を背負っているという意識を持っているのは自分たちだ。」と思っている。

そしてそれはその通りで.. 第一私たち一般大衆は、そんなこと考えちゃあいない。彼らは、日本国自体を考えていくのが仕事なんだ。

自由主義的発想を過度に抑え込んでるのは、反体制精神と教育分野から流れる血を多く含むメディアだろう。
彼らの発想は、物事に『善と悪』を決めることが体にしみ込んでしまっている。社会を捉える場合でも、政治を捉える場合でも、世界を捉える場合でも、ドラマでも、アニメでも...。
そして、教育分野の根は深いし.. 手が長い。毛細血管のように細かく伸びる。

目の前の人間でも、世界自体でも.. 実際に『善』と『悪』が明確に線引きされる存在など、ほとんど存在しない。

そのようなメディアが産み出す現在最大の深刻は、「法を守ってさえいれば何をしてもいい。」という発想だ。
法制度も統治形態も万国共通になってきているが、それらは人と人との関わりを規定しているだけであって、その線自体は人では無い。そこには何もないんだ。在るのはその線が結んでいる両先の... 人間にある。存在があるのは、そこだけ。結んでいる線に価値があるハズがない。
逆に言うと、線が法律なんで、線以外を法治の枠組みの外で大事にしていくことが重要だ。

今どきの大人たちを見てみろ... ホントどうしようもないヤツが多すぎる。
日常過ごしていて、いちいち感じるんだから、ホントに酷いよ。


.......話しが逸れてってしまった。

要は、政治はパワーの根源を社会の変質に頼らざるを得ない。
しかし、官僚は、どのような世の中になっても.. それなりにうまくやっていく。彼らが一番、勉強しているから。

そして、実際に行使する“手”は、彼らにある。
頭で思った通りに手が言うことを聞かないならば、手をどうにかしなきゃなんない。だけど、その頭がろくでもないことばかり思い思い付くようでは.. 逆に手は不自由なくらいのほうがいい。

いぞれにしろ、それぞれのセクションを担っている個々に根付く発想・思考・知識が、それらを産み出している。


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