7年経ちました

55政党というブログからの

過去を振り返って失政を指摘する 

随分と空けてしまいました。

近頃はネットのニュースさえ開かなくなってしまって。
まあ、意欲が失せてきたとも言いますが..。


先日どっかの幹事長が今上手くいかない部分を「大半は(過去の)自民党の責任」といった発言をしたようで..。

とても将来の総理候補、そして平成時代に最も成功した大企業のJrの発言とは思えないほどのレベルの低さだ。
なので、これは何かしら“わざと”やっているのだろうが... 近頃の大人には、能力というものの捉え方をこのように勘違いしている傾向があることをホンキで危惧している。


若いうちは、能力というものを基本スペックというかスキルを捉えて言う場合が多いが、大人になればそれは能力とは呼ばないことぐらい分かるハズだ。

とても素晴らしい法案Aがあったとして.. その法案は何か足したり引いたりしたら効果が薄れてしまう類のものだったとしよう。
素晴らしい法案Aを中心になって頑張っている当人は・・
可決がモロモロの理由で難航している時に、『足したり引いたりして可決を優先する』のか『違う何かと引き換えに可決させる』のか『結局取り下げる』のか... そういう場面において“どのような行動をとるのか”という部分こそ能力と呼ぶ。

素晴らしい法案Aを考えること自体はスタートラインでしかない。
大規模専門チームを組んで初めて見えてくるようなものでもない限り、一人の人間に思いつく内容など.. その同じタイミングで何人もの人が思いついているだろう。ただ、それを実現(実行)できるポジションにいる人は限られている。
だからこそ、そんなポジションにいる人の能力かのように感じられてしまうんだ。

どの世界にあっても、それを発見する人間は同時に多数存在する。
それを形に出来るかどうかが、真の能力だ。

理由は簡単で、自己の内部にはそれぞれ素晴らしい世界が広がっている。
しかし、社会というのは自分の外の世界との繋がりなわけで.. 結局は自己の外の世界に関係してくるカタチにできなければ自分とその周辺以外に何も分かろうはずがない。

能力主義とかポテンシャルというのは、言い訳でしかないんだ。

平時は誰だってそれなりに出来る。
非常時に「どう切り抜けたか」「どう切り開いたか」そういうものこそが真に能力であって、だからこそ経験させてみなければその人の能力は見えてこない。


話しが遡って冒頭の件。
例えどんな失政があろうと、それ踏まえての今がある。
過去の経緯や現在陥っている状況を踏まえない対策など.. それは妄想でしかない。

今起きている事の結果は、今運営している人間の責任に帰するよりほかないんだ。

こんなことは当たり前の話し。
そして債券格付けの話しは、『格下げされた』そのこと自体を中心に捉えると大きく何かを見誤る。
まずは、『多少でも日本の評価を下げる必要があった。』と捉えるべきだ。


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