7年経ちました

55政党というブログからの

社会貢献が基準になるなんて 

近頃は、社会貢献への取り組みが企業を判断する上での結構な目安になっているという話しを聞いた。

「世も末だ。とんだ勘違い野郎が増えているのか..」
そう心配になるんだが・・・
まあいろいろ調べていくと、「今どきこういう活動にこそ、資金が集まり起業が盛んになっている。」という現実的な面を見て行く分には、大変に納得がいく。
私達大衆は、手に届く範囲でしか社会を選択しない。
逆に言うと、“少なくない人々に選択可能な範囲でステキなもの”が価値を持つ。
多くの優良企業が選択可能であれば、若者の間に社会貢献がここまで広まることはなかっただろう。

問題はどちらかというと、そのようなステキな発想に平気で押し込まれる大人たち&便乗する大人たちであろう。
こんなものを跳ね返せないようでは、いい年を食ってきた人生自体に価値がない。
便乗は言うまでもないが、自覚症状がない便乗は、もう取り返しがつかない。残念な人生だ。自覚症状がある人は、“ただのワル”だ。
「結果的に利益が出たものを社会に還元する」のは、それは個人が行うことだ。法人が行うことに何の“理”もない。あるのは“利”だけだ。

深刻なのは、その価値観的なものを真に受けてしまう人たちであり、このような判断は偽善を自覚している程度でちょうどいいだろう。



企業が社会貢献をホントに大事だというなら、元からその様なことに取り組んでいる団体に寄付すればいいことだ。
(「利益が出るならその分安くしてもらいたい」とか「人件費に転化してもらいたい」という発想もあるが、実はそれが出来るほどの絶対額ではない。価格を1%下げても人件費を1%上げても、損が出てしまうだろう。)
モノの価値は私たちが決めている。
自動車会社であれば、私たちの手に届く価格でいち早く電気自動車を作ってくれることが社会貢献であろう。電力会社やガス会社は、それに便乗してないで、さっさと電気社会秩序を作って行ってくれることが社会貢献であろう。
そのような一見あたかもエコな意味での社会貢献と勘違いされそうな分野でなくとも、私たち自身が必要だと感じるからこそ、モノもサービスも売れるわけで、事業をまともに行うということは、本来社会の役割の何かしらを担っているわけだからそれで十分に社会貢献なんだ。

自分が富むために会社を利用し、自身の会社が利益さえ上げられればそれでいい・・ そういった個人や法人であれば、確かに営利活動は社会貢献と程遠い。ところが実際には、それだけを意識するような経営方針は、資本家(投資家)迎合経営か自己の利益を優先する浅はかな経営陣が運営する企業であり、それほど多いわけではない。(※投資家は、利回りを連れてくる先ならばどこでもいいのであり、その企業である必要があるのは事業者なんだ。)

確かに、外から企業を見る場合、それを判断するのは難しい。がしかし、消費者として、サービスを受ける側としてその企業が必要だと思える部分を抱えている以上、それは社会に役割を担っているといえる。


一見社会に貢献するような仕事をしているように見えても、実は社会に必要のない組織であるかもしれない。(=あるより、ないほうがいい。)
そして、ホントにボランティアで活動していくならいざ知らず、その事業から何らかサラリーを得ている場合、そのような浄財から手間賃を抜いているわけで、その行動だけを正当化するのは難しい。

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