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太宰治が生誕100周年を向かえ、映画化が進んでいるようだ。
太宰治 生誕100年、相次ぐ映画化---Asahi.com

私は本来読書が好きではない。昔などホントに大嫌いだった。
そうは言っても、夏休みの宿題の読書感想文ってやつがあったんで、いくつかコナす程度に読んだのを覚えている。その中に太宰の『人間失格』があった。
これが映画となると... どうなるんだろうか、大変に興味深い。



今日はレンタルで1本映画を見た。

is20A.jpg

最後の最後まで何の希望の糸口も見えず、大変に苦しい映画鑑賞となった。
つまりは、そんなことを表したいんではないんだろう。
ただ、つまんなかったのとは違う。何を表したかったのか私には分からなかっただけだ。
基本的には、一貫して「生きる意味」を問い続けていたんだろうと思う。

被害者の親である刑事(津田さんというそうだ)と、加害者の親(内藤剛志)の心情の変化と二人の関係の変化には大変に見どころがあった。小栗の義理の親(里親)の心情の変化も素晴らしい。あそこは唯一内藤の考え方に疑問を投げる部分ではあった。
一貫して何より注目していたのは、当然主人公(小栗旬)という人間だったんだが・・・ とにかく、誰にもどこにも活路が見出せない。このような状態であれば、いったいどうすればいいのだろう...。それは戸田菜穂だって、伊藤かずえだって、水川あさみだって、小栗の友達だって、皆そうなんだ。

もちろん、私の日々の主張は、アブノーマル・執着・勘違い・自己のコントロールのできなさなどなんで... そういう視点で見れば答えは見つかる。しかし、ここに出てくるメンバーのような人など実際にいくらでもいる。その人ら自身が未来を見いだせるかどうかは大変に難しいところだ。

そしていくつか気になるセリフがあった。
「たった4年で更生できるか?」
「育て方だけが原因だと言えるか?」

小栗がこのようにアブノーマルになってしまった経緯は一切メッセージされていない。つまり、そんな角度からは見ていないということだ。
息子に過度に期待を寄せてはいけないのか?がクローズアップされて取り上げられている。ということはそこが論点のひとつだと捉えられるんだが・・ そこへの拘りがアブノーマルに結びつくとは私には到底思えない。気になったのは、内藤が一貫して当人(小栗)自身の責任であるかのように考えている部分ではあった。※いや、社会的な責任は当人に中に一切矛盾することなく、貫かれている。感じたのは、父と子の関係についての内藤の考え方においてだ。


映画では気にされてはいないように思うが、私がとても重要だと感じたのは、「選択肢がある」もしくは「手段がある」ということだ。
生きるか死ぬかも自分で選べる。死ぬ勇気はないが、死ぬための機会がある。人を殺す手段がある(爆弾、ピストル)。小栗は大変に父(内藤)から信頼され、自主性に任されている。この場合、選べる自由(自分で決めていい自由)よりも選ばなければならない苦痛(自分で決めなければならない苦痛)が強く感じられた。
人に決めてもらう心地よさは、多くの女性が知っている。それに近い何かだ。(責任とはちょっと違う部分で。)


日頃私は、「選べないことが問題」だと主張しているが、実は身分制度なんかも肯定はしている。そんな自分の中でのつじつま合わせはおいおいやっていくとして... そのことの重要性に改めて気付かされた。
人に決められてしまうことも、ある程度は必要だ。●選択肢があり過ぎること ●実現する手段があることも、時には大変に苦痛なものだ。

人は生きているんではなく、生かされている。
・・・実際そうなんだが、そこに辿り着くことが難しい人には大変に難しいことだろう。
そんなことを考えさせられた。



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