7年経ちました

55政党というブログからの

相棒-劇場版- 

そういえばこの連休中に映画(レンタル)を1本見た。
『相棒』というドラマの劇場版だ。

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これ、どうやら流行っていたドラマらしい。
一見、“踊る~”と比較してしまうが・・
これは悪趣味だ。
正直、最低と言ってもいい。

日ごろは実はなるべく感情的な批判みたいなことはしないように心がけている。
がしかし、これはいただけない。
このようなものをヨシとする人間性に深刻な問題を感じるものだ。
それとこの際正直に言ってしまうが・・ (以前に、ちょっとだけ触れている)動物が残酷なことになってる映画なんかにも同じように不快感を感じる。
子供が見て「どうして!何で!可愛そう!」と思うのは一向に構わない。
問題なのは、そんなことに大人の考えが動かされることだ。
だから“悪趣味だ”と表現している。
大人の場合、そんな映画は自分が泣きたいから見ているだけ。ただそれだけのことだ。
それで真に動物を大切に!などと思うようなら、とんでもない無自覚者だ。
感じ入って主張をしたり、心に誓ったり・・・ まさに、弱者を背負っているんだ!と言わんばかりの勘違いな正義の味方野郎のすることだ。

いいか、ホントに動物がかわいそうだと思う人間は、わざわざ映画で動物がかわいそうなことになってるものなんか見たくないんだよ。


話しを相棒に戻そう。
この映画、まず人殺しの衝撃スタートに何かコメディタッチな空気が流れている。
この時点でもう不愉快だ。
踊る大走査線を見てみるといい... キャラクターは人間のくだけた一面をクローズアップさせていてリアルだが、殺された人や被害にあった人ごと笑うようには作られていない。第一殺人事件があったかどうかすら思い出せない。

映画では、目的のために手段を選ばないことは認められないとハッキリ主張している。
しかし、この映画自体が何か主張をしているのは間違いなく、そしてその主張の仕方が間違っていることを考えるとき・・ 自分らも映画内で非難している対象と同じじゃないか!と感じるわけだ。

自分らの正義感心をくすぐるために、平気で重たい話を使わないことだ。
それが別にただの物語ならまあいい。動物の件のように、「ちょっと泣きたい気分」で見に行ったらいいことだ。
ところが、この映画はえらそうに説教ぶっているじゃないか・・ 大きな大きな勘違いだ。
被害者の家族とか・・ 加害者の家族とか・・ そんなことを主張したいんだろうが、それは自分らこそが一番に直すべきことだ。

この映画は、イラクでのNPO拉致殺害事件を取り扱っているし、その当時のメディアの姿勢を批判している。S文書だとか避難勧告のタイミングだとかはフィクションなのか知れない。しかしそれは、完全に現実へのアクションだ。
テレビ朝日のアナウンサーまで出てきてるんだから、まさにまるっきりテレビ朝日の主張だろう。
それに、なぜか関東中央病院がフツーに実名で出ていたのも気になった。
この映画は元総理とか悪役大臣なんかはわざわざ(デスノートのように)あまりありえないような苗字にしている。にも関わらず、病院なんかはサラっと実名で出ている。関東中央は公立学校共済組合立の病院だ。


この映画では、殺人教唆をし、そして無差別テロを匂わせていた西田敏行に暖かい目が向けられている。それはきっと、政治の被害者でもあるからだろう・・ なのに水谷豊には「手段が間違っている」と言わせている。最後の病院でのシーンは、あの状態であれば、木村佳乃の記者会見を西田敏行にこそ見せてあげる流れだ。それをわざわざ寺脇はテレビを消している。
あまりにも発想が頭でっかちで説教じみていて、何がいいたいのか分からない。
それに本仮屋さんと言ったか・・ あの子だって、あんな場面(環境)においても、子供は親の心情を叶えてあげたいと思うものだ。つまり、あそこは自分へのケアでなく、やはりテレビをまた着けるなり・・ 父親へのケアへ向かわなければならない。
きわめて善良そうな父親が、あそこまでのことをしたんだ。ということは、あの記者会見こそ何にも変えがたく望んでいたものなわけで・・ それを平気でほっとくことなんて理解不能だ。


この映画は、何のリアルもない。
極めて頭でっかちで、そして情緒的な、典型的なテレビ朝日的なものだ。
他人の不幸に共感して、勝手に自分で気持ちよくなってろ!!




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K-20 

レンタルで見た。

K-20


まず、この映画は大変に気持ちがいい(痛快な)ものになっている。
日本のパイレーツ・オブ・カリビアンかマトリックスかそれともハリーポッターにあたるのかの境目みたいな映画だった。

設定が政治色を織り交ぜたものになっている上での世界観... この辺は大変にアメリカ映画チックで、私の好みな部分だった。

最後の方は、やや間延びか?と感じていたら、そっからさらに1転・2転して楽しかったし、気持ち良かった。金城は白馬の王子様ではなく... 松たか子が自分で切り開いていく決着とは、まさに今風な発想だろう。

いつも注目するような、内面の葛藤とか人間模様... それは今回はない。
あえていうなら、必要悪だが・・ そこを掘り下げてなどいない。

街中をまっすぐに駆け抜ける・・ あれは、多くの男子ならば子供のころに“やってみたいこと”だったんじゃないだろうか... あのアクションだけでも十分に気持ちいものだった。



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イズ・エー 

太宰治が生誕100周年を向かえ、映画化が進んでいるようだ。
太宰治 生誕100年、相次ぐ映画化---Asahi.com

私は本来読書が好きではない。昔などホントに大嫌いだった。
そうは言っても、夏休みの宿題の読書感想文ってやつがあったんで、いくつかコナす程度に読んだのを覚えている。その中に太宰の『人間失格』があった。
これが映画となると... どうなるんだろうか、大変に興味深い。



今日はレンタルで1本映画を見た。

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最後の最後まで何の希望の糸口も見えず、大変に苦しい映画鑑賞となった。
つまりは、そんなことを表したいんではないんだろう。
ただ、つまんなかったのとは違う。何を表したかったのか私には分からなかっただけだ。
基本的には、一貫して「生きる意味」を問い続けていたんだろうと思う。

被害者の親である刑事(津田さんというそうだ)と、加害者の親(内藤剛志)の心情の変化と二人の関係の変化には大変に見どころがあった。小栗の義理の親(里親)の心情の変化も素晴らしい。あそこは唯一内藤の考え方に疑問を投げる部分ではあった。
一貫して何より注目していたのは、当然主人公(小栗旬)という人間だったんだが・・・ とにかく、誰にもどこにも活路が見出せない。このような状態であれば、いったいどうすればいいのだろう...。それは戸田菜穂だって、伊藤かずえだって、水川あさみだって、小栗の友達だって、皆そうなんだ。

もちろん、私の日々の主張は、アブノーマル・執着・勘違い・自己のコントロールのできなさなどなんで... そういう視点で見れば答えは見つかる。しかし、ここに出てくるメンバーのような人など実際にいくらでもいる。その人ら自身が未来を見いだせるかどうかは大変に難しいところだ。

そしていくつか気になるセリフがあった。
「たった4年で更生できるか?」
「育て方だけが原因だと言えるか?」

小栗がこのようにアブノーマルになってしまった経緯は一切メッセージされていない。つまり、そんな角度からは見ていないということだ。
息子に過度に期待を寄せてはいけないのか?がクローズアップされて取り上げられている。ということはそこが論点のひとつだと捉えられるんだが・・ そこへの拘りがアブノーマルに結びつくとは私には到底思えない。気になったのは、内藤が一貫して当人(小栗)自身の責任であるかのように考えている部分ではあった。※いや、社会的な責任は当人に中に一切矛盾することなく、貫かれている。感じたのは、父と子の関係についての内藤の考え方においてだ。


映画では気にされてはいないように思うが、私がとても重要だと感じたのは、「選択肢がある」もしくは「手段がある」ということだ。
生きるか死ぬかも自分で選べる。死ぬ勇気はないが、死ぬための機会がある。人を殺す手段がある(爆弾、ピストル)。小栗は大変に父(内藤)から信頼され、自主性に任されている。この場合、選べる自由(自分で決めていい自由)よりも選ばなければならない苦痛(自分で決めなければならない苦痛)が強く感じられた。
人に決めてもらう心地よさは、多くの女性が知っている。それに近い何かだ。(責任とはちょっと違う部分で。)


日頃私は、「選べないことが問題」だと主張しているが、実は身分制度なんかも肯定はしている。そんな自分の中でのつじつま合わせはおいおいやっていくとして... そのことの重要性に改めて気付かされた。
人に決められてしまうことも、ある程度は必要だ。●選択肢があり過ぎること ●実現する手段があることも、時には大変に苦痛なものだ。

人は生きているんではなく、生かされている。
・・・実際そうなんだが、そこに辿り着くことが難しい人には大変に難しいことだろう。
そんなことを考えさせられた。



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CMクオリティとドラマクオリティ 

そういえば先週の土曜はドラマを2つ見た。
Mr.BRAIN
ザ・クイズショウ

私がガッツリとドラマを見た記憶があるのは、『やまとなでしこ』が最後だった気がする。が、ちょこちょことといろいろ見てはいる。
そして『のだめ』や『ガリレオ』ほか後から全部借りて見ていることが多いようだ。
キムタクものも結構見ている。


そのように見てきて思うのは... この土曜に見たドラマ2つ、果たしてこんなでいいんだろうか?と思うほどに残念なものだった。

まず『Mr.BRAIN』なんだが、キムタクはリアリティの中にのみ生きる役者だろう。このように科警研や脳科学の素晴らしさやトリック的なものを心情やリアリティを無視して表現したいのであれば、まさにもっとガリレオちっくに、そして役者も阿部ちゃんとか堤真一のように舞台っぽい感じのほうが合ってるだろう。

そして『ザ・クイズショウ』... こちらも、どうやら心情や葛藤を描きたいハズの内容になっているのに、そういう部分のリアルは全然表せていない。それを重視したいのにそれを表現できないんじゃあ... いくらなんでもだ。


ここのところのドラマとは、こんななんだろうか...。それともこの2つはジャニーズ優先ってだけであとはどうでもいい感じなんだろうか...。
そんなドラマとは対照に、CMの素晴らしさは目を見張る。
例えば、明治製菓の“人生がラブストーリーでありますように・・”なんて素晴らしい。



このような世界は、母が子に弟について良く話し聞かせ、そしてお父さんも含めて皆がワクワクしながら誕生を待っている環境であることがとてもよくうかがい知れる。お兄ちゃんが葛藤するのは弟が生まれてからで、この時点でこういう状態であるのは全くあり得ることだし、そのお迎えをする準備環境としてとても素晴らしい状態だ。それをお兄ちゃんの心情から映し出しているところが大変に素晴らしいと感じた。

もちろん、これだけじゃない。まずはクオリティの高さに感心するものが多い。
上記ドラマについては、そのクオリティの低さにがっかりするわけだ。桜井君の演技が微妙だったりする面はあろうが、それ以前の問題だろう。何故、そう写す?、何故今場面を変える?何故アップを写す?.... 意味不明な場面ばかりだ。わざわざそれをするということは、きっと何かを表現したいんだろうが・・ それが、いやその多くが意味不明だ。
こんなことは、まさにクオリティの問題だろう。つまり、もし制約が多いとしても、もっと出来ることはあるんじゃないかととても感じさせられるものだった。



非常に限られた範囲(私が気まぐれに見た範囲)ではあるが、CMとドラマのクオリティの差があまりに大きすぎる部分がとても納得いかない感じだ。

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