7年経ちました

55政党というブログからの

所得格差と教育格差 

それともう1件、日経BPネットから。
「所得格差」が「教育格差」を生む冷酷な現実 ---金子元久さん

一見... またこれか?と思うが、中身を読んでいくと焦点は「子供のモチベーション」になっており、最終的には大学の改革になっている。


日経BPネットは、議論を起こす軸となっている記事が多い。
がしかし、トラックバック欄がない。
しょうがないんで、今回の記事にはコメントを入れてみたが・・ 取り上げられるかは微妙だ。
以下はそんなコメントと内容が一部かぶる。

まず、この方の主張では、所得格差=教育格差の原因を、親のしつけや動機付けの部分から探っている。当たり前の、塾や私立の学費の話しで済ませないところは新鮮だ。だがしかし、だからこそ3ページ目の“「保護者の収入が多くなるほど右肩上がりに大学進学率が高くなる」「特にこの傾向は私立大への進学で顕著になる」というほぼ事前の予測どおりの結果となった。”のように、考えるまでもなく当たり前のことまでこのように見解している。

私だって裕福ではなかった。子供当時は、だからこそ自主的に高校・大学と公立進学を目指していたし、塾や予備校などろくに行っていない。
そもそも就職に効果がない現代にあって、それを目指すインセンティブなどあるのか?

これはまず『所得格差=教育格差』なのではなく、『所得格差=学歴格差』と考えなければならない。
そして言ってみれば現代は、学歴はお金で買える時代だ。
ところが、学歴を買ってもろくに使えない。
教育へのインセンティブは就職に結びつくからこそ得られる秩序だったので、それが崩壊した今、何より重視しなければならないのは、そんな秩序を組み替えていくことにある。(55主張では、こここそが日本型雇用問題の本丸でもある。)

民主始め、「教育!」「教育!」と主張するが、それはつまり「学歴!」「学歴!」という主張であり、教育自体が果たすべき本質などそもそも為されていない。このままでさらに教育に公金が投入されても何も意味をなさない。
それどころか、害の方が大きい。
第一、学校の勉強よりも塾での勉強が重視されている時点で、それは学歴獲得競争でしかない。

今すべきなのは、教育の内容が真に実を結ぶことだ。

大学については、卒業と同時にベンチャー起業を目指せるような大学が必要だ。
いや、むしろそれがあれば大きく変わる。
若者当人が見る(望む)今の時代に足りないサービスなりを自身のチカラで生み出していける。
国費を出すなら、そんな若者の起業を支援する資金であることが素晴らしい。
もちろんそんな大学は、コネクション構築にも働きかける必要があるだろう。

そして初等教育に必要なのは、学校の勉強への回帰と、その源泉となる教育内容の充実だ。
それは“答えのないものを考えていく”ことと、“観察するチカラ”の育成だろう。
演繹的に過ぎる今どきの発想は、観察をおろそかにし、自身が目指す答えに合致できそうなものを引っ張ってきて、自身の論の正しさを証明するだけのような.... まさに自分にとってだけ大切なものしか生み出さない傾向が強い。
ここだけ取って見ても、教育の敗北と言える。

ゴールや正解を目指すには、そもそも「必ずそれがあること」や、「それを目指す意思」を必要とする。それは本来極めて限定的なものだ。


中等教育は知らない。というか、出口の秩序(大学や専門)と初等の基礎が変われば、中間は大きく様相を変えるハズだ。


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資格制、免許制の一番のメリット 

ちょっと前の話題だが...
【主張】免許更新制「廃止」 教育改革後退を憂慮する ---MSN産経

その理由が“有資格者と無資格者の差別ナンチャラ~”などと、完全にイってしまっている意見も見かけたが・・・

資格制・試験制・免許制の何よりのメリットとは、機会の平等にある。

55政党では、資格制や免許制をあまり好ましくないように語ってきたが、それは公的機関や勘違いな方々の組織増大に繋がっているからであって、その勘違いな人らが大事にしているハズであった“機会の平等”という何よりのメリットを自ら否定している点が気になったわけだ。

そして私はまったく評価しない“やる気”... 多くの人がそれを大事に考えているにも関わらず、資格制はそんな“それを強く望む人が勝ち取りやすい”制度であるという効果も無効になってしまう。

ただしかし、現在この部分で重要なのは、資格制自体ではなく、それがスタートラインでしかないのにも関わらず、それをゴールであるかのような発想が蔓延しているところにある。
資格や雇用について、“そこに入ってから”よりも、ただ単に、守られるゾーンに入り込むことを強く意識する国民の状態であることがよく分かる。


教師の話しに進もう。
教職課程は随分前から既に、“それを強く望む人が志望する”ような状況ではない。
それどころか、それを強く望む人のほうがむしろその職種に適さない割合が高い状況にあるだろう。
であるから、教師については免許制などなくしてしまっても同じことだ。

試験は質を担保する方法として効果が薄い。質を担保しているのは、それを目指したい人が自ら作り上げる競争と、従事してからの真っ当な運営なんであって、競争環境の薄い試験にロクな効果など存在しない。

では、それを目指したい人を増やすには・・・
それは、①サラリーほか待遇メリット ②社会に担う役割の大きさ ③周囲からの評価 であろう。この3つに優劣や優先順位はない。どれか一部の人もいるだろうが、3点がある程度揃っていないと全体として魅力的な職業と感じられるものにはならない。

この中で現在、教職に劣っている部分は②と③だ。私たち自身が、教育の価値を理解していない。そして現状の公教育は、②を全く理解していない。むしろ政治活動だと捉えている上層部も多いようだ。

つまり、私たちは良い教育を生み出す土壌も持っていなければ、預託している先もまったく趣旨を間違えている。


ここを突破させる道はある。
現状の枠組み(規制やルール)とは全く関係なく、教育の効果を見せつける集団(教育機関)が出現してくればいい。
そのような真の担い手が全国から芽吹いてくるよう... いっそ日教組案の一部(免許廃止)に乗ってしまうのも手だ。


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先日取り上げた加藤秀樹さんの著書『ひとりひとりが築く新しい社会システム』を読み終えた。

驚くほど同意する部分はあるのだが・・
やはり厚みの関係もあり、この本は--理論や思い込みや多すぎる知識量のせいで凝り固まってしまった発想をリセットする--ものだと言える。

まあ、肩の力を抜いて、今一度多くを考え直してみる機会にでもなれば良いんだろう。



第二部にて、著者と櫻井よしこさん、松井孝典さんの3者対談のような形式が出てくる。
ここは正直... 「もう読むのを止めようか・・・」と何度も思った。
私にとっては、知性に秀でた方々の雑談のようなものだった。基本的には3者の“持ちあげ大会”となっていて、それぞれの距離感が良く伝わってくる。

おっしゃることには一理も二理もあるのだろう.... 日本とアメリカ・中国などとの“差”を通じて考察をしていくのだが、基本的に『何か正解が存在していて、それを目指さなければならない』かのような背景を感じるんだ。私には、それらの発想のいちいちが、何故全体が目指さなければならないのか?がまったく理解できない部分だった。
基本的な内容は、愛国心方面だ。別に愛国心もいいんだろう.... そしてそれが思っている以上に多くに影響を及ぼしている可能性だってあるのだろう.... しかし、全体がそれを強化していくべきかどうかは別の話しだ。


そのような話しがありながらも、以降の章は『官と民』『公と私』『人材育成』『倫理』と続いて行く。加藤さん自身の意見ではないものもあったが、この後半は一気に読み進めることが出来る内容になっていた。

アメリカとの対比を通じた「官」と「民」の役割分担の項など・・ ここまで明快に示していると逆に、第二部はいよいよ趣味や世間話の扱いにしかなれないように思うんだが、それでも加藤さんは長い歴史の流れから学ぶことを重視しており、その辺が絡んでいるという意味で矛盾がないのであろう。

55政党が主張してきた内容と猛烈にかぶる部分があり(この本は2003年に書かれているけど、私は一切読んだことがない)、それを抜粋しよう。
■■□
システムや装置は「善き社会」のための単なる必要条件に過ぎない。決定的に重要なのは言うまでもなく、そのシステムや装置の中にいる人間である。つまりどのような良質な人材を持つかなのだ。ひとつの国の中でどういう人材が育っているのか、その中からどのような人物がリーダーとなっていくのかということが大事だという点を忘れてはならない。
□■■

・・・まずは、加藤さんの主張は演繹的過ぎる類のものではないと分かるだろう。

そしてここから、専門家の育成やキャリアアップの仕方、公務員の役割や倫理などに話しが及んでいく。大学院の部分を読んでいると、日本がいかに“学んだこと”を軽視しているか分かる。

ちょっとここから本書と逸れての55主張になるが・・
教育方法や内容とは、先輩世代が学んだものを反映させ、積み上げていかなければならない。日本ではきっとそれも出来ていない。学んだ内容が重視されないことと、教育の内容が進化していかないことは、恐らく同じことが主要因であるハズだ。

教育の内容こそが、その国家の国力を試されているものであろう。
日本では、相変わらずの「愛国心vs人権・平等・平和」の戦いである。教育は本来、国家が積み上げたノウハウを次代に引き継ぐとても重要なものだ。

本書では、日本人が不得手としているスキルについてちょくちょく出てくる。
それらの多くに共通しているのは、アイデンティティで間違いない。
度々の主張なんだが・・ これは日本大好き陣営が主張する文化人類学的アイデンティティ(存在証明)ではない。これは客観視の話しだ。
それを習得できるプログラムを組めれば、日本人が不得手としている多くのスキルがクリアになる。それを教育に反映させることが出来るのが、国家の教育というものの真の姿だろう。

そして本書でも触れられているが、“正解のないような問題を考える力”が不足している。
これもただ単に、帰納的思考の話しである。帰納的思考というものそのものを、もっとカガクしていけばいいだけの話しで、それを教育に反映させることができれば、それは成し遂げられる。
そしてそのような姿こそが、国家の教育の姿であろう。

このようなことを確信している私にとって、それを教えるのに最も適していないような人々が教育に携わり続ける現状は、国家的犯罪に近いように感じられる。



最後に、日本を開国させた米国の初代総領事 タウンゼント・ハリスがらみの部分を取り上げたい。
本書によれば、ハリスは欧米的秩序を日本に無理やり押し付けたことが、果たして日本人にとって幸せなことなのかどうか疑問が残ると言っていたそうだ。

欧米的ジャイアン姿勢とは、「相手にとってもまた、いいことのハズだ」と思うからこそ、自信満々に押し付けるわけだが・・ その自信が揺るがされる実情風景がそこにあったわけだ。

チェンバレンという人や、ハリスの通訳であるヒュースケンスという人の感想も、“とんでもなく遅れていて、きっと貧困や不満が溢れているであろうと思っていたその国のどこかしこに笑顔が絶えず、そして悲愴なものを見出すことが出来なかった”んだそうだ。


日本人の真の価値、そして世界から評価されている部分とは・・・ 日本人個々の善良意識の高さと、基本的信頼にある。そしてそれは単一民族の長い歴史や相互監視・プライベート介入であることに助けられている。
「当たり前」や「常識」が通じないこれからの他民族社会、そして個人主義時代にあって、このような民度・志の高さや基本的信頼姿勢を保ち続けられるかどうかこそが、全世界的に見ても大変に重要なことであろう。
それを実践してみせることこそが、本当の愛国心である。


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だからOECD比較は意味がない 

55政党では、OECD比較は意味がないと度々主張している。
それどころか、むしろ問題を連れてくる可能性のほうが高い。

教育への公的支出、日本は下から2番目 OECD調査 ---Asahi.com

この記事であえて参考にするとしたら、“日本と韓国は学力よりも学歴を重視しているに違いない”と読み取れる部分だろう。
つまり、OECD比較による出費金額の調整ではなく、配分を変えるべきでは?ということだ。

このような無意味な発想よりも、実質のあるのはこちらの人気エントリだ。
「基準から外れてしまった」人をどうするか ---Tech Mom from Silicon Valley(海部美知さん)

“基準”という表現は、日本の発想の進め方を表しているんだろうが・・ この“もっと丁寧にやっていくべき”的部分が大変に共感する。



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文科省天下り 1/3が私学 

文科省天下り、3分の1が私学…省庁再編後もルート温存 ---MSN産経

55政党では、一貫して現状を『教育バブル』だと位置づけている。
●朝日・毎日の学歴競争を煽る姿勢と、所得格差=学歴格差を主張する姿勢
●現行の学校への補助金と、個人への学費支援、子育て支援・少子化対策が結局学費に流れていること
●教育強化!という主張が、学歴競争強化にしかなっていないこと
●民主の打ち出す政策
・・・と、教育分野の矛盾は引き続き拡大している。

学歴獲得競争とは、それが成功へのパスポートだからこそ有効なもので・・ 学士・修士が余っているという現在、そこを無理やり制度で煽るのは大きな間違いであろう。せめて個人が勝手にそうする程度であって欲しい。

学歴獲得競争のために、親はジャンジャン消費をし、そして無事大学に行ってみたら・・ 職がない。それに対し「社会が悪い!」って... ホントか?

教育強化!を謳う論点として、ちょっとこちらの小宮一慶さんの記事を。
外需依存の日本が世界で生き残る道は ---日経BPネット

今までの55政党の主張と多くの部分が一致しており、ある程度同意できるんだが・・
ここで取り上げている教育強化とは、●早期専門特化 ●将来に必要となる産業へのシフト だ。

そこはうなずくばかりなんだが、この取り巻いている論点に不足しているのは、「多くの親や子は、そこまでして成り上がっていこうとは思っていない。」ことがある。
「学校が教えてくれない」「欲しい講座(学科)がない」という受け身姿勢よりも、当人が成長し続けて行くこと自体が重要なんであり、結局現状維持的ディフェンス姿勢が強い現状では、なかなか難しい。
そのような全体を救済する制度など必要がなく・・ あくまでも必要としている人にルートが用意されていることが重要だ。

借金大王に寄りかかっている姿勢ではどうしようもない。まずは、自身で切り開く姿勢こそが重要だ。


もう今がバブルの絶頂だというのに・・ 引き続きその組織やマーケットを維持したいというのなら・・
なんなら... 別に再出発教育機関に切り替えてもいいんだ。
恐らくその方が実質がある。第一、当人自身がその道を必要としている。

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